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叔父の死にふれて

森 雅志 1994.04
 去る二月に叔父が逝った。享年五六歳。自宅で療養した果ての覚悟の死であった。家族に後事を託し、みんなが仲良く暮らすようにと言い残した。実にあっぱれな死であった。深く信仰に帰依していなくても、人は自らの覚悟次第では立派な死を迎えることが出来るということなのだろう。
 思えば三年前に往生した祖母も自宅療養の果てに息を引き取った。私達が目覚めてみると既に旅立った後だった。そして私の娘たちは初めて人の死というものに触れた。前夜まで暖かかった身体が翌朝には冷たくなっていることを体験した。意思あるものが物言わぬ塊と化したことを見た。この体験が彼女たちに何を残したかは判らないけれど、いつの日にか人の生き死にというようなことを考えるような年齢になったときには思い出して欲しいと思う。
 残念ながら人はいつの日にか死ぬことになっている。そして時々は自分自身の死の具体的なシーンをイメージすることがある。精神状態や体調によっては病む、老いる、死ぬということについて強い不安に囚われることもある。まさに人が人としてあることの根源的な不安であろう。そして出来ることなら安らかに死んでいきたいと考える。
 三年ほど前に「病院で死ぬこと」という本がベストセラーになった。読後に強力なショックを受けた記憶がある。延命治療の挙げ句、身体が切り刻まれ、声を失い、臓器を失い、最後には意思までも失っていく患者たち。治療中断の要求も拒絶されたまま秒刻みで延命が図られていく。素直に死と向き合おうとする患者の意思は抹殺されていく。そこには人間としての尊厳も誇りもないのだ。それでいいのかと考え込んでしまった。
 やはり安心して死んで行きたいと思う。全ての執着を捨てることは不可能でも、穏やかにその時を迎えたいと思う。勿論、死と向き合うということはそんなに安易なものではないだろう。だからこそ執着と諦観のはざまで揺れながらも、フッと溜息を漏らすようにして旅立っていきたいのだ。
 ところで死を考えることは生を考えることに他ならない。だから、まずは精神も肉体も共に健康で生きていくことを考えるべきであろう。
 とりあえず、前号で断言した“絶・二日酔宣言”後の実態についてこっそり反省しなければなるまい。猛省必至。