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如何に正義を為さんか

森 雅志 2002.08.05
 いろいろな機会に「法や制度の先にある正義を実現することが大切だ」と述べてきたが、そのためにはどんな姿勢を持つことが大切なのであろうか。
 個人的には、正義とは「卑怯をなさず絶えず正しきに立つ」ことだと思っている。そしてその実現のためには、天にも自分自身にも一点の恥じ入ることのない行動をとることが大切だと思う。
 例えば先の亡命事件において、あの副領事の対応は法に抵触はしないのかもしれないが、少なくとも泣いている子供を抱き上げてやることが一人の人間としてなすべき事ではなかったのか。
 対極にあるものとして杉原千畝(すぎはら ちうね)を想起して欲しい。リトアニアの領事として本国の指示に反してまでユダヤ人に日本通過のビザを発給した行為は、外交官としては問題だが、しかし彼の行為はまさに人間として正義だったのではないのか。
 同時に大切なことは覚悟をもつことだと思う。小村寿太郎はポーツマス条約を締結した後、自宅の焼き討ちに遭っている。しかし、彼は確固たる覚悟で外交にあたったのであり、そのことの評価は高い。我々は正義の実現のために「小村寿太郎の覚悟」に学ばなくてはならないのである。
 覚悟ということに関しての清水幾多郎の言葉を披露して本稿を閉じたいと思う。彼は、政治家とは何かと問われて、「国民が嫌がっているもので、しかし国家の将来にとって絶対に必要なもの、そういうものがあるでしょう。それを国民にやらせる、納得させる、それがだめなら強制する。それが政治家の仕事だと思います。ただ国民が欲するものを口当たりよく約束するなら、セールスマンでたくさんだ。」こう述べている。
 深い言葉だ。