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おでかけ定期券

森 雅志 2003.06.05
作詞家の阿久 悠氏が対談集の中で昔の歌謡曲「お別れ公衆電話」について述べている。恋に傷ついた女性が都会を離れる前に、未練を断ち切るかのようにして公衆電話で別れを告げるという内容だ。電話がない家庭も沢山あった時代だっただけに、公衆電話が繋がったときの10円玉が落ちる音が人と人の心を繋いでいたのだと言う。
そのころの移動手段と言えば、もっぱら列車やバスであった。それが今では一家に複数台の自家用車があるというマイカー社会になりバスの利用者は激減しているのだが、かつてのバスには単に移動手段という機能だけではない、出会いや交流を生み出す機能もあったと思う。バスの座席を譲り合ったりすることが暖かい人間関係を作っていたのだ。
考えてみれば、携帯電話でメールをやりとりするばかりではなく10円玉の電話で話してみることや、マイカーで移動するばかりでなく時にはバスの車窓から街並みを見てみることが必要なのではないだろうか。10円で繋がった心や、バスの中にあった人情といったことをもう一度回復させることが大切なのだと思う。
そのためには、僕らもたまには携帯電話を持たずにバスに乗って街に繰り出してみるべきだ。中でも「お別れ公衆電話」を知る世代の皆さんにしょっちゅう街に出てもらって、人情味あふれる街を再現するきっかけを作ってもらえたら有り難い。
市では8月から10月までの三ヶ月間、そのための事業を試行することとなった。これは65歳以上の希望者を対象に「おでかけ定期券」を発行し、この定期券を提示すれば市内のすべてのバス路線において(中心市街地で乗り降りする場合に限り)一律100円で利用できるようにしようとするものである。できれば多くの高齢者の方にこの定期券を利用して街に出て欲しいものだ。そして元気なお年寄りが連れだって買い物を楽しみ、世代を超えた交流が芽生えるような人情味のある情景が街に溢れてくれたらいいと思う。
かつて10円玉と公衆電話が人の心を繋いだように、今度は100円玉とバスが繋げてくれたら素晴らしい。
高齢者の皆さん、8月になったら是非とも100円玉と「おでかけ定期券」を待ってバスに乗ってください。そして商店街を散策しながら新しい街の主役になってください。
(ところで「お別れ公衆電話」の松山恵子は今どこに?)

2003.06.05