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花を召しませ…♪

森 雅志 2004.01
 カミさんの誕生日に花束を贈った。もちろん、花屋さんから届けてもらったのであり、手ずから渡したわけではない。それどころか帰宅した際に何か言われるのも恥ずかしいので、当日は酩酊したうえに家族が寝静まってから帰った。
 こっそりと花束のラップをはがしてみるとバラと霞草というおきまりの組み合わせであったが、まぁ良いではないか。
 毎年そうしているのかと言えばそうでもないのだが、今までにも何度か思い出したように贈ったことがある。そうは申せ花束を抱えて帰宅するということは気恥ずかしく、その都度花屋さんのお世話になってきた。それもまた、まぁ良いではないか。
 もっとも今回の花束についてはチョットした背景が絡んでいるのだ。それは1月5日の初市の朝にさかのぼる。例年のごとく早朝5時から富山市中央卸売市場での初競りに出席した。新年を迎えての晴れやかさと意気込みなどが入り交じった雰囲気の中で、鮮魚、青果、花きというふうに順番に初競りが行われていき、それぞれの場で挨拶をさせてもらった。合間に市場の関係者や同席された議員の皆さんらとともに、取扱高の減少傾向の中ではあるが市場の活性化を実現するために、一人ひとりが当事者意識を持って取り組んでいこうというような趣旨の話をしていた。その流れのまま挨拶に立ったものだから、家族の誕生日には花束を贈ることにしますというふうに宣言してしまったのである。したがってこれからは毎年忘れずに続けていかなくてはならなくなったのだが、まぁそれも良いと思う。
 花きが生活に潤いをもたらすなどと建前の言葉では口にしていても自分自身の実生活の中でどこまで触れていたのだろうかと考えるとはなはだ心許ない。折にふれて花鉢などを貰うこともあるにはあるが、花を買うことが日常化しているとは言えないのが実態だ。
 同じことが鮮魚や青果などの食品についても言える。地産地消をスローガンに掲げ、地元でとれた安全で新鮮な産物の消費の拡大を唱えているものの、(家庭ではともかくも)外で食事をする際には食材に対し無頓着になっているのではないのかと思う。大いに反省させられる。
 地産地消を唱えるからには消費者として自分の食生活を自ら検証してみることから始めなければなるまい。そのうえで高品質で美味しい地元の食材が安定的に供給されるためには自らが当事者であることを自覚することが大切であると思う。つまり消費者自身が地元産の食材にこだわることが求められるということだ。その結果初めて生産者、流通業者、消費者が一体となった地産地消体制が構築されることになるのである。
 とりあえず秘書課の職員の皆さんに奥さんの誕生日には花束を贈りましょうと提案したところ、突然、「東京の花売り娘」のメロディーが頭をよぎっていった。