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オヒツは何処へ?

森 雅志 2004.11
 子供の頃の夢を見た。夢の中の僕は炬燵に足を入れて深く身体を潜り込ませようとしていたのだが、やがて僕の足先は何か堅いものにぶつかった。炬燵布団をあけてみると、そこにはオヒツがあったのだ。あのお櫃である。
 なぜそんな夢を見たのかは分からないが、この夢のおかげで子供の頃にオヒツを足で炬燵から押し出しては叱られていたことを思い出した。懐かしい記憶だ。我が家にあったオヒツはおそらく杉材で作られたもので小豆色に塗られていた。使い古されていたのだろう所々の塗りが剥がれていたように思う。
 思えばオヒツは必需品であったのだ。朝お釜で炊いたご飯を夕食までオヒツに入れて保存しておく。冬にはそれが冷めないように毛布などで包んで炬燵に入れておくのだ。オヒツの中には家族の一日分の主食が確保されていたのだから実に大切なものであったのだ。それを炬燵で蹴れば叱られるのは当然である。冷めるからという理由だけではなく、ご飯を大切にするということの教えとして叱られたのだと思う。
 あの頃の我が家は何時も家族そろっての夕食であった。母親がオヒツを開けてみんなのご飯をよそってくれて食事が始まったと思う。僕は祖父からご飯粒を茶碗に残すなとしばしば叱られた。祖母からは魚をきれいに食べろと教えてもらった。あの頃は何処の家にもあった家族の姿である。そして食卓にはいつもオヒツがあったのである。
 やがて電気釜が登場しジャーというものが現れ、炊飯ジャーへと進化してきたのだ。タイマーをセットしておけば希望する時間にご飯が美味しく炊きあがるうえに、いつまでも保温してくれるのだから有り難い。もう誰もオヒツを必要としなくなってしまったのである。オヒツを眼にすることもなくなった。おそらく我が家の娘たちはオヒツという言葉も知らないだろうと思う。
 考えてみると、便利になることで調理の仕方や食事の内容も変わり、台所にある食器や道具も変わってきたのだ。今や食洗機で食器を洗うという時代なのである。
 おかげで食生活は多彩になり家事労働も改善されてきた。素晴らしいことだ。生活の質の向上と言っても良いと思う。
 しかし便利さの裏返しとして、家族がそろって食事をする機会が減少しているのではないのか。子供たちを皿洗いなどの家事労働から遠ざける結果となっているのではないだろうか。そんなことを心配してしまう。時には冷えたご飯を食べながら、食べ物の大切さを教えることが必要なのではないのか、と思う。
最近よく「食育」が叫ばれ、学校教育にもそれが求められている。食の安全や食文化を学ぶことは確かに大切なことだ。しかし家庭における日々の営みとしての食事の時間こそが「食育」の機会なのだということを忘れてはならない。オヒツを蹴って叱られた時代から学ぶものは多いのではないかと思う。