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思い出をたどって

森 雅志 2008.01.05
 家族のエピソードを披露することに躊躇があるのだが、一人の高齢者の話として受け止めてもらい、お許しを願いたい。
登場人物は84歳になる僕の父である。過日、突然に一人で鹿児島に出かけたのである。もちろん父にしてみると突然の思い付きではなく、以前から計画した上でのものであろう。しかし旅立ちの日の朝に初めて聞かされた僕にしてみると唐突なことなので、思わず「どうして?」と訊ねてしまった。はたして、旅の目的は若き日の記憶をたどるというものだったのである。
 父は15歳から19歳にかけて鹿児島の大隈半島のあたりに売薬に出ていた。その4年間は召集を受ける前の、まさに父の青春時代だったのだ。その軌跡をたどろうというのだ。親方に付いて初めて出立した日の記憶から始まり、4年間の出来事や出会い、異郷の風景や方言、そういったものをもう一度自分の目と体で感じてみたいということなのだ。
 かく言う僕も学生時代に住んでいた周辺を30年振りに訪ね、一人で歩いてみたことがある。人は思い出を糧にして生きるものなのだと思う。ましてや人生の円熟期を迎えた父にとって70年前の自分を再発見したいという思いは大きいものであったに違いない。
全行程を鉄道で移動することとし、現地で宿を探すと言って出かけたのだが、帰宅後の話によれば何とレンタカーを借りて大隈半島の付け根を走り回ったというから驚いた。さすがにカーナビは使い方が分からなかったと言っていたが、まだまだ元気である。
最初は町並みや道路が大きく変わっていたことに戸惑ったようだが、かつて訪問していた家を訪ねることが出来、当時のことを記憶している人にも出会えたとうれしそうに話す父の顔は輝いていた。父にとって本当に良い旅だったのだと思う。また旅の途中でいろいろな若者に親切にしてもらった話も聞かされたが、有り難いことだと思う。富山から一人で訪れた老人に鹿児島の若者が示してくれたやさしさに感謝でいっぱいだ。地方の人情はまだまだ生きている。
 さて、我が家の父より年長でももっと元気な高齢者は沢山いるに違いない。逆に父より若くても要介護認定を受けている人も沢山いる。身体機能の状態は一人ひとり千差万別である。しかし、その身体機能に関係なく、元気な人も病める人も大切にしているものが思い出だと思う。若い頃の記憶だと思う。どんなに不幸な人生を生きてきた人でも懐かしく思い出すことのできる幸福な瞬間があるに違いない。思い出があるからこそ未来に向かって進めるのだし、希望を持つこともできるのだと思う。思い出を大切にしているからこそ人は何かのきっかけで旅に出たいという衝動に駆られるのだ。旅とは思い出を作るか探すかという行為だからである。
ところで、父が次は戦争で行ったベトナムだなどと言い出さないだろうねぇ。