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お手伝いしましょうか

森 雅志 2010.03
 過日、羽田空港でモノレールに乗った折、僕の後ろから、大きなスーツケースを重そうに持った若い女性が乗ってきた。大変そうだったので「手伝いましょうか?」と声をかけたところ、「大丈夫です。ありがとうございます。」と言って明るい笑顔を返してくれた。浜松町で降りるときに視線が合うと、「大丈夫です。」と笑いながら言ってくれた。それだけのことなのだが心が和んだ。
最近は誤解を恐れてか、困っている人にさっと手を差し伸べたり、声をかけたりすることが減ってきていると言われている。先の僕の行為も怪しいオジサンがちょっかいを出そうとしたととられるかも知れない。でもそんな社会は違うと思う。お互いに声をかけたり、助け合ったりすることがあるべき姿じゃないのか。そう思うのだが…。
そもそも、最近の日本人は袖が振り合っても視線さえ合わせようとしない。縁を感じるどころではないのだ。知らない人とは口をきかないと確信しているかのようである。特に外国に出るとそれを感じる。偶然に日本人どうしが一緒になっても挨拶も交わさない。そんな光景に何度か出会った。他の国の人々は初対面でも親しそうに話しているのに。日本人どうしは目も合わせないで、お互いに外国の人と話しているという変な状況さえある。もっとも、思い切ってこちらから声をかけると嫌がる人はいなくて、楽しく会話が弾むことになる。最近の日本人はきっかけを見つけるのが苦手だということなのだろうか。
富山の人はとりわけきっかけを見つけることに後ろ向きだと思う。例えば雪道で運転に困っている女性に対して「お手伝いしましょうか。」と声をかける富山人はあまりいないと感じる。僕はそんな社会はおかしいと思う。そういう時に声をかけることこそが男性の役割だと思うのだが…。そしてそれが社交性につながると思うのだが…。僕の場合はそれでも不審者だと思われてしまうかな?