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♪いい湯だな♪

森 雅志 2010.06.05
 長野県にある地獄谷野猿公苑という場所に行った。世界で唯一、温泉に入るサルを観察できるポイントだという。
 河原のあちこちから温泉の湯気が立ち昇っているうえに、熱湯が噴出している間欠泉のようなものもあり、地獄谷という地名にさもありなんと思った。そして周辺には100頭を超えるサルの群れがいたのである。人が近づいても警戒することなく、勝手に何かを食べたり毛づくろいをしたりしている。そんななかを進んで行くとついに目当ての「温泉」に辿り着いた。河原に人為的に作られたかなり広い「温泉」があり、確かにサルが入浴していたのであった。初夏という季節なのでさすがに雪はなかったものの、それなりに寒い日和だったので目を閉じて入浴しているサルの姿が羨ましいほどであった。
 もともと赤ら顔のサルたちが顔を真っ赤にしてお湯に浸かっている様は微笑ましかった。温まってお湯から出るサルがいるかと思えば、身体が冷えてお湯に入ってくるサルがいるというふうに混乱することなく利用されている。子ザルたちもお湯を掛け合って遊ぶということはせずにおとなしく浸かっている。我が家の娘たちが小さかった頃に肩までお湯に浸からせて100まで数えあったことを思い出していた。
 宿に戻った僕たちは、今度は自分たちの番だとばかりに大浴場に浸かった。さいわい先客が誰もいないお風呂で思いっ切り四肢を伸ばしながら極楽顔になっていた。
 後から入ってきた親子連れもサルを見て来たらしいことが会話からうかがえた。壁を隔てた女性風呂からもかすかに話し声が聞こえてくる。外には露天風呂。典型的な温泉旅館の大浴場の情景であった。
 しかし、「温泉はいいなあ。」などと独り言ちていた僕の気分はその後に急速に冷めていったのである。親子の家族が女性風呂にいたらしく、壁越しの声の掛け合いが始まったのであった。孫娘が露天風呂に行ったから男性陣も露天風呂に行けとか、サルが凄かったとか、夕食には岩魚が出るに違いない、といった会話を大声で交わすのである。そのうちに子供による飛び込みまで始まった。嗚呼、家族の愛は固き。お風呂の中でも会話が尽きないとは…。
 しかしこういう家族のためには家族風呂とか専用風呂とかが用意されている。会話が尽きない仲良し家族はぜひそちらを使って欲しいものだ。静かに入浴するサルの姿を見た後だけに、腹が立つというよりも情けなかった。サルのほうがよほど公共マナーを身に付けているということか。
 先の家族に悪意はない。悪意はないのだが周りに迷惑を与えているという意識もないのである。だから注意を促せば静かになったのかもしれない。若い頃の僕ならそうしていたと思う。最近は、せっかくの家族旅行だから大目に見てあげようなどと思ってしまう。迷惑行為に対して寛容になって来たということか。もっとも寛容=黙認と受け取られても問題だなあ。やっぱり小言幸兵衛になりますか。