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おでこに手をあてて

森 雅志 2011.01.05
 僕は今まで一度も入院をしたことがない。それでも時には風邪をひくし、お酒が過ぎて胃腸の具合が悪くなることはある。胃腸薬を飲みながら宴会でお酒を飲むというひどい生活態度なのである。もちろん褒められたものではなく猛反省が必要。体調管理も職責の内と心得なければならない。心得てはいるものの言行不一致の日が続いているということだ。反省。反省。
 さて、風邪気味で熱っぽいというときにひどくならないように体調管理をするのは当然である。それでも熱が高くなって少しばかりふらつくというときには、さすがにお医者さんに診てもらうこととなる。ところが待合室で待っている間に熱が下がり元気を回復するということが多い。僕の場合、子供の頃からそうだったように思う。お医者さんに診てもらおうと思った瞬間から自分の自然治癒力が増強するのだろうか。子供の頃に受けたひどく痛い注射のトラウマが治癒力を高めているのかもしれない。いずれにしても先生が診察をしてくれる頃にはかなり回復してしまい、「軽い風邪でしょう。」などと言われてしまうのである。人間の治癒力というものの不思議さだなあ。
 子供の頃には母親がおでこに手を当ててくれたり、おなかを撫でてくれたりしただけでかなり症状が改善したように思う。小学校の保健室で養護の先生におでこを触ってもらっただけで熱が下がったという記憶もある。もちろん体温計で熱を測るのだけれども、その前に「どれどれ?」といった風情でおでこに手をあてる。この行為が自然治癒力を高めているのだろう。科学的ではないものの経験に照らしてそう思う。我が家の娘たちも「熱がありそうだからおでこを触って欲しい」などと言ってくる。娘はともかく、もしもカミさんがそう言ってきたら気味が悪いけどねえ…。
 思えば、近頃は触診というものが減ってきているのではなかろうか。血液や尿の成分分析データがコンピューターに登録され、医師が数値の解説をしながら診断してくれる。そんな光景が多くなっているように思う。確かにデータには科学的な根拠があり、それを重視することは間違ってはいない。いや、そうすべきであろう。しかし肌の触れ合いにより作られる患者と医師の信頼関係もまた見逃せないものだと思う。子供の頃によく診てもらったかかりつけ医とも言うべき先生の温かくて柔らかな手のひらの感触は今もはっきりと思い出すことができる。昔のことだから、随分と寒い診察室だったが先生の手のひらは温かく、触ってもらうだけで元気になったものだ。触診の不思議な力だと言えまいか。
 僕の場合、風邪で仕事を休んだ記憶はないものの薬を飲むことはよくある。インフルエンザの予防接種も受ける。見ようによっては薬で風邪と戦っていると言える。友人の一人は基本的に薬を飲まないと決めている。風邪をひいたら仕事を休んでひたすら眠る。薬に頼らない生き方である。本当はそのほうが良いのだろうけれども休めないしなあ。風邪に負けない身体をつくる努力が大切ということだ。それでも発熱したときには誰かにおでこに手をあててもらうことから対処したい。やっぱり、気味悪がられてもカミさんに頼むしかないよね。