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「長幼の序」は何処へ

森 雅志 2011.03.05
 先に佐賀に出張したときのことである。博多駅で乗り込んだ電車の座席で出発を待っていたところ、すぐ後ろで乗客と乗務員とが大きな声でやりあうのが聞こえた。否が応でも聞こえてくる内容は、どうでもいいような些細なトラブルである。くだらないことで大きな声を上げて迷惑な客だなあと思いながら観察してみると、驚くことに随分と若い客であった。僕がなぜ驚いたのか。それは彼の言葉遣いにあった。50代だと思しき乗務員対して20代の若者が使う言葉ではなかった。親子ほども歳の離れた年少者が人生の大先輩に向かって命令調にクレームをつけていたのであった。さすがに乗務員の口調は接客口調であったものの、常識の通じない馬鹿な客に手を焼いている風情であった。
 最近はこういう手合いが多いと思う。自分が客だからと思い上がり、サービス提供者に対して上位意識で過度にクレームをつける輩である。仮にサービス提供者に落ち度があるとしても言葉遣いや態度に人生の先輩に対する配慮がなければならない。「長幼の序」というものである。
「長幼の序」とは「長じたものは幼いものを慈しみ、幼いものは長じたものを尊敬する」という儒教的な考え方であり、孟子を出典とする。物事を行うにあたっては、年長者と年少者との間に一定の順序がなければならないという意味である。当然のことであろう。そういう教えで僕らは育ってきたのである。そういう価値観が崩壊してきていることを憂えずにはいられない。儒教の国、韓国においては「年長者の前でタバコを吸わない」とか「年長者より先にお酒を飲まず、食べ物に手をつけない」という習慣がある。そこまでは言わないものの、自然と年長者に対する敬意がにじむような振る舞いをすることは当然のことである。若い世代に反省を求めたい。
ところで先の若者である。鉄道営業法によれば「旅客が公の秩序又は善良な風俗に反した場合」には「鉄道係員は旅客及び公衆を車外又は鉄道敷地外に退去せしむることを得」と規定されていることを知るべきである。簡単に言うと、目に余る言動があるときには乗務員によって乗車拒否されることがあるということである。
バスの場合であっても、一般乗合旅客自動車運送事業標準運送約款に次のように規定されている。「旅客が泥酔した者又は不潔な服装をした者…他の旅客に迷惑となるおそれのあるとき」には「運送の引き受け又は継続の拒否」ができる。つまり調子にのって傍若無人の振る舞いをしている客はバスに乗せてもらえないということだ。社会全体の利益や安全を考えれば当然の措置であろう。
(閑話休題)
以前にどこかで書いたことがあるが、僕には忘れられないエピソードがある。はたち前後の頃、東京に向かう急行列車の中で何気なく足を組んだところ向かい側の高齢者からいきなり杖で頭をぶたれたのであった。「年長者の前でことわりなく足を組むのは失礼である。」と諭されたのであった。おそらくそのときの僕の振る舞いは注意された以上に生意気な態度であったに違いない。有難い教えをいただいたと思っている。生涯忘れられない記憶であり、財産である。