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キャベツとリンゴが出会った日から…

森 雅志 2012.11.05
 小学校2年生だったと思う。同級生の女の子からいわゆるお誕生会に呼ばれた。彼女は紡績工場の社宅に住んでいた。あの頃、僕らのような地元の子どもたちと社宅に住む子どもたちとの間には、同級生ではありながらもどこかよそよそしさが漂っていた。そして「地元の文化」と「社宅の文化」の相違性とでも言うべきギャップがあったのである。身なりを見ても社宅の子はあか抜けていたように思う。そんな中でのお誕生会だったのである。
 そのときの僕はプレゼントを持っていくということもせず、ハッピーバースデイの歌を歌うという常識も知らなかった。そして、身の置き所のない思いでいた僕に追い打ちをかけたのが「ショートケーキ」の登場であった。イチゴをのせたあの白いケーキである。そういうお菓子があることはおぼろげに知ってはいたものの実際に食べたことがなかった僕にとっては初めての「ショートケーキ」であった。そして、小さなフォークで切り取ろうとした際にお皿のうえでケーキを倒してしまった僕は、はたしてどのように対応したら良いのか分からずうろたえていたのであった。その日の体験以来、僕は基本的にショートケーキあるいはそれに類するものにはなるべく近づかないようにして生きてきた。ある種のトラウマだったのである。もちろんこの歳になればケーキを倒そうがひっくり返そうが何とでもなる。それでもいわゆるデザート全般について腰が引けているのが実態なのだ。お誕生会の記憶の根は深い…。
 今度は小学校の3年生のときの思い出。当時の僕は食べ物にいささか好き嫌いがあった。それでも給食に出てくるものは嫌いな食材であっても何とか我慢して食べていたと思う。あの不味かった脱脂粉乳も何とか飲んでいたものだ。それにしても脱脂粉乳は酷い味だったなあ。動物のエサと言ってもいいような味と香りであった。繰り返すが、その脱脂粉乳でさえ僕は何とか我慢して飲んでいたのである。しかし、その我慢強かった僕が絶対に食べられないモノが給食に登場してきたのであった。それはキャベツとリンゴを混ぜた野菜サラダであった。何故それが食べられないのか不思議に思う人がいるかもしれないけれど、給食にこれが出てくることは僕にとって地獄の責め苦であった。もとよりキャベツもリンゴも嫌いなものではなかった。別々に食べればおいしいものなのに、一緒にして酸味が加わったサラダになると食べられなくなるのであった。おそらく給食のメニューを考えていた栄養士の人が野菜嫌いな子どもにサラダを食べさせようとしてリンゴを混入させたのだろう。しかし僕の場合、結果が逆に出てしまったのだ。それ以来、リンゴが混入されている一部の食品から距離を置いて暮らしてきた。これもまたトラウマなのである。
 この食べ物に関するトラウマはアレルギーと違って身体に反応を及ぼすものではない。何かの記憶が原体験として残り、それ以降の暮らしの中で対象物を忌避してしまうという心理作用なのだ。気の持ちようなのである。子どもの頃の繊細さと敏感さがトラウマを生んでいたということ。この歳ともなれば鈍感になってトラウマに囚われなくなってきた。最近は、ケーキの類を避けてきたことを悔いるかのようにデザートを貪るし、リンゴと野菜入りのジュースを毎朝飲んでもいる。以前のトラウマが消えたということだろう。
もっとも年齢を思えば、お酒を忌避する新しいトラウマが生じたら良いのかも…。