過去のエッセイ→ Essay Back Number

帰るところ

森 雅志 2014.01.05
謹賀新年。今年もよろしくお願いします。

 薄暮のミュンヘン国際空港。成田便のシートに座って窓からターミナルビルを眺めていた。「いよいよ帰国だな。」などと漠然と思いながら焦点の定まらない目で一組の親子連れの様子を追っかけていた。そしたら突然に、急いで帰宅したいという思いが湧いてきて寂しさに囚われてしまった。「家に帰ろう。早く子供たちに逢いたい…。」そんな気持ちを抱きながらシートでじっとかたまっていた。
 出張続きで家を空けることが多かった。富山にいても外食が多くゆっくりと過ごす時間が少なかった。そんな状況が寂しさや孤独感をもたらしたのかもしれない。出張の間、同行のみんなとワイワイとやっていたのだから人恋しさとはちょっと違う。家族恋しさとでも言ったらいいのだろうか。あるいは自分が一番安心できるわが家が恋しかったのかも知れない。いつも自分が座る場所に身を置きたかったのだろう。つまりは帰巣本能ということだ。人は時々こうやって帰巣本能に動かされるのだろう。帰るべきところに帰りたいと無性に感じる瞬間があるものなのだ。
 子供の頃にいくら遊びほうけていても、夕方になると家に帰らなくちゃと焦りを感じたことが今も忘れられない。母親の胸元に帰りたかったのだろう。学生時代、東京で暮らしていた頃にも夕方になるとふいに富山に帰りたいと感じることがあった。家族が恋しかったのだろうか。カミさんが元気だった頃は旅先で寂しさを感じるといつもカミさんのことを思っていた。そして電話でたわいもない話をしたものだ。つくづくと、人は家族と生きていくものなのだと思わされる。
 もちろん荒野を一人で歩いていく強さを磨いていかなくてはならない。それでも、いつでも帰れるところがあるという、心棒のようなものが必要なのだ。それが家族であり、親友であり、故郷なのだと思う。自分の原点とでも言うべきところが必要なのだ。帰るべきところとでも言おうか。
 何かのきっかけで寂しさを感じたときに、「如何にいます父母 恙無しや友垣」と思うことが帰るべきところを思い出させ、「思い出る ふるさと」が元気を与えてくれるのだ。
 さて、年があらたまって、希望に燃えている人がたくさんいるだろう。あるいはこれから受験だという若者もいるだろう。春になったら社会人になるのだと胸をふくらませている新卒者もいるだろう。結婚をして新しい家庭をつくるという人もいるだろう。
全ての人たちにとって新年が輝かしい年であって欲しいと心から思う。若者達の旅立ちを大いに祝福したいと思う。洋々たる未来を拓いていって欲しいものだ。僕らがもう失くしてしまった若さを存分に謳歌するがいい。やがて誰かと出逢い、家庭をつくるかもしれない。そして愛する家族がいるという幸福を実感する日がおとずれるに違いない。君達の時代が来るのだ。
そして僕は思う。全ての若者たちが帰るべきところをしっかり持っていてほしいと。迷ったとき、悩んだとき、道を見失いかけたときによすがとすべき場所。自分の原点とも言うべき場所を持っていて欲しいと。それが「思い出るふるさと」であり、「友垣」であり、「父母」であり、家族なのだということを忘れないで欲しいと思う。いつか君達にもふるさとの有り難さを感じる日がやって来るに違いない。頑張れ! 若者たち。僕らは良い故郷を、帰るところをつくって待っているから…。