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ミラノの彷徨人

森 雅志 2014.11.05
 久しぶりにイタリアのミラノに行ってきた。街は相変わらず落書きであふれている。なんでこんなことになるのだろうか。まったく理解できないけれど、歴史的建造物だと思われるようなビルまでもが汚されている。もはや手の施しようもないと思う。我が国がこうならないことを願うばかりである。落書きの街!ミラノ! ところが、当然と言えば当然なのだけれども、オシャレな人があふれている街でもある。街を歩いているとしばしば羨ましいくらいにオシャレな人に出会う。性別や年齢に関係なくオシャレができることが羨ましい。オシャレがあふれる街!ミラノ!
 そんなミラノで笑い話のような体験をしてきた。いや、恥ずかし失敗談と言うべきだろう。実に情けないエピソードなのである。
 ある日の夕刻に2時間程度の空き時間ができた。これは街歩きをしなきゃなるまいと、一人でホテルを出た。街の地図も、ホテルの住所や電話番号を記したカードも持たずにブラブラと歩き出したのであった。まずはミラノの中心である大聖堂を目指した。街は人であふれていた。数年前に訪ねたことのあるガレリアも観光客が列をなしていた。やがて大聖堂にたどり着き、列に並んで中に入った。ちょうど、大司教と思しき人の説教が続いているところであった。満堂の人々が静かに頭を垂れている様子を見ながら、信仰のないわが身を少しばかり恥ずかしく感じさせられた。聖歌隊の合唱が始まったところで静かに外に出た。数日間家を空けていた寂しさを感じつつ、とぼとぼと街を彷徨っていた。そのうちに目の前にトラムが停まったので、行くあての無いまま飛び乗っていた。夕食のための集合時間のことを意識しながら適当な地点で折り返すこととした。幸い大聖堂まで順調に帰ってきたものの、そこからが問題であった。ホテルまで急ごうとして、勘を頼りに路地に分け入ったのが良くなかった。曲がりくねった路地は僕の方向感覚をおかしくしてしまい、まったく逆の方向に向かって歩いていたのであった。不安を感じた僕は近くのホテルに入り、地図をもらい、目的地を図示してもらった。分かりにくいから大聖堂まで戻るようにというアドバイスにしたがって大きな道を選びながら振り出しに戻った。今度こそと思いながら、疲れを感じることもなく歩き出した僕であったが、集合時間に遅れることを心配して近道と思われる方向にまた舵を切っていたのだった。途上で出会った青年に尋ねると再びの誤りに気付かされ、途方に暮れることとなった。暮れなずむミラノの彷徨人となってしまったのであった。まことに恥ずかしい限り。時間に間に合わないことを悟った僕は、恥を忍んで同行の知人に連絡を取り、車でピックアップしてもらいながら目当てのレストランにたどり着くことができたのであった。
 同行の皆さんに迷惑をかけてしまったことを大いに反省している。同時にわが身の老いについて考えさせられてもいる。若いころから旅先でブラブラすることが大好きだった。自分の方向感覚を頼りに行動することに自信があった。おかげで不安を感じることもなく楽しい体験を重ねてくることができたのだ。それが今回の体たらくである。おそらく老化が方向感覚を鈍らせているのであろうと思う。つくづくとわが身の老いを思った。もはや荒野を一人で生きていけるような野性を喪失してしまったということか。じっと佇むしかないのか…。寂しいけれど現実なのだなあ。
 グーグルマップで生きていきますか。