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ひとり暮らし初めの思い出

森 雅志 2018.04.05
 いよいよ4月だ。進学する人、社会人になる人、そういう多くの人の新しい日々が始まる。そして家族と一緒に暮らして来た日々から巣立ち、一人暮らしを始めるという学生もまた多い。親元を離れ、遠くの地で新生活をスタートする。彼らが新生活に向けて希望や期待を胸いっぱいに抱いているであろうことは容易に想像がつく。力強く巣立っていくがよい。人生の先輩として、君たちの青春真っただ中でのスタートを心から応援し激励したい気持ちでいっぱいだ。頑張って欲しい。
一方、新天地での暮らしに、何よりも初めての一人暮らしに臨んで、少しばかりの不安を抱いている人もいるだろう。若い頃の僕もそうだった。その不安を少しでも和らげてもらえたらという思いから、僕自身の一人暮らしを初めた頃の記憶をたどってみたい。
 僕が初めて親元を離れ、一人暮らしを始めたのは、大学に入学するために上京した時である。小田急線の経堂駅から徒歩15分という立地の、まかない付きの下宿屋が東京暮らしのスタートであった。当時、列車に乗る駅で荷物を預けて到着地の駅でその荷物を受け取るという「チッキ」というサービスが国鉄にあったのだが、その「チッキ」で布団や衣類を送ったと記憶している。そして四畳半での生活に必要な品物を駅前の雑貨屋と電気店で調達したのだった。その時に調達したものの中に陶器のコーヒーカップがあるのだが、実はこのカップを今も使い続けている。昭和46年の4月に買ったものなのだから、もう47年間も使っていることになる。よくぞ毀れずに今日まで使用に耐えてきたものだ。おかげでこのカップが時々東京での青春時代の記憶を思い出させてくれる。僕にとってはこれからも大切にしたい宝物なのである。
 さて、まかない付きの下宿なのだから朝夕の食事は何とかなったものの、当初は共用のトイレや洗濯機の使用に面食らった記憶がある。そもそも自宅でトイレの掃除をしたことなどなく、自分の下着の洗濯さえしたことがなかったのだから共用システムについていけないのも無理がない。そして銭湯についての苦い思い出もある。下宿のおばさんから銭湯までの道筋を聞いていたのだが、どう歩いて探しても見つからず3日間ほど汗臭い体で過ごしていた。(何をしてるのやら?)。やっと見つけた銭湯で番台に座っている女性から睨まれた気がして気後れをした記憶がある。その日が僕の銭湯デビューだったのだが、まずはかけ湯をしてからお湯に入ることを学んだ日となった。僕の一人暮らしの始まりはそんな体たらくだったのだ。
 当時はコンビニなどあるはずもなく、携帯どころか黒いダイヤル式電話機も下宿にないのだから、今とは大違いの暮らし方だった。実家に電話をするには、駅前などにある赤電話のうえに何枚もの十円玉を置き、一枚ずつ料金投入口に入れながら話すというやり方だった。友人とどこかで待ち合わせる際など、30分過ぎても相手が来ないと待ちぼうけに腹を立てるどころか不安に襲われていた。各駅頭には黒板があって待ち人に向けて伝言を書いていたものだ。僕はなかなか富山弁がぬけず難渋したこともあった。
 それでもあっという間に慣れ、新しい友人ができ、従前からの友人を含め友情を深め、青臭い恋愛もし、いろんな経験をし、チョットだけ社会を知り、充実した青春時代を過ごすことができた。それは輝く若さがあったからである。これから一人暮らしを始めるみんなにも目が眩むほどの輝く若さがある。その若さで乗り切り、未来を拓いていって欲しい。