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キャッシュレス時代を生きる?

森 雅志 2018.10.05
 8月の末に北京に行ってきた。相変わらず凄いスピードで街が変貌している。街中が人と車とレンタル・サイクルで溢れている。大混雑している街の様子に今回も驚かされた。
 それよりも驚いたのは北京がキャッシュレス社会になっていることであった。モノを買う時にも、外食をする時にも、タクシーに乗る時にも、電車やバスを使う時にも、支払いには現金を使わないでスマホを使って済ませてしまうのである。どんなお店にもスマホをかざすと支払いができるQRコードというものを使った決済端末があり、一瞬にして精算が済んでしまう。いわゆるモバイル決済である。そのシステムが想像以上に普及していて驚いたのである。
 僕も生活の中でしばしば現金を使わずに支払いをしている。スーパーやコンビニでの支払いに際してクレジットカードや電子マネーカードを使う。電車などの利用には交通系ICカードを日常的に使っている。たしかに便利である。財布からお金を出す手間が省ける。そしてお釣りをもらうということがないから財布に小銭が溜まることがなくなる。僕の場合コンビニや駅の売店など比較的に少額の買い物をする場合には電子マネーカードを使い、スーパーではクレジットカードを使っている。おかげで財布を持たずに毎日買い物ができている。
 そういう意味では僕らの社会もキャッシュレス化していると言える。しかし中国で広がっているキャッシュレス社会はかなり違っているのである。まず中国では固定電話よりも早いスピードでスマホが普及した。そしてネット通販を利用する人が急増した。その結果広まったのがいわゆるモバイル決済なのである。通販でモノを買って支払いをする時に、通販会社が指定したモバイル決済会社に会員登録し、そこで提供されるソフト経由で決済するシステムだ。あらかじめ決済会社の口座に決済用資金を預けておき、支払いに際してはQRコードというものをスマホで読み込んで済ますということになる。現金をやり取りする必要がない便利なシステムであることからこの仕組みの利用者が激増した。ある決済会社だけで会員が5億人を超えていて、類似の企業が他にもあるそうだから中国のすみずみに浸透していることになる。その結果、このシステムが社会のあらゆる現場に普及し、通販にとどまらず買い物も食事も移動もという風に、あらゆる支払いがモバイル決済で済まされることになっているのだ。日本大使館で聞いた笑い話では物乞いもQRコードで受け付けているという。今や日本国内でも数万軒の店舗やレストランがこの中国のシステムを取り入れているのだ。
 僕らがカードで買い物をする仕組みと中国のそれとの違いは徹底的な会員の囲い込みにある。会員はこのシステムが使える空間だけで買い物をすることになり、結果として全ての消費活動が決済会社に把握されることになる。家族も会員になっているので家庭の日常も筒抜けになっていると言ってもよいだろう。そのうえ、このシステムを使っている人の多くは決済会社から個人の信用度を点数化して評価されている。高得点だと安く買い物ができるのでますますこの決済を使う。予約したレストランをキャンセルするとポイントが下がるから無理をして食事に行く。という風に、行動や生活が結果としてコントロールされる事態になっているのだ。北京のキャッシュレス化は日本より進んでいるけれど、ある意味では怖い社会になっている点が僕らのカード社会との決定的な違いだと思う。
 ところで僕は、この中国版キャッシュレス社会の便利さを享受することができない。いや中国では生きていけないのだ。なぜなら今でもスマホを持っていないのだから…。