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尊敬する政治家は?

森 雅志 1999.02
「一番尊敬する政治家はだれですか?」

 これに対してどう答えるかということはそんなに簡単ではない。

恥ずかしながら、少しでも良く見られたいという心理が働くからである。『リンカーンじゃ陳腐だし、田中角栄という時代じゃないしな。ヴァィツゼッカーや上杉鷹山とでもしておくか。こんなときにカッコイイ答えを用意しておかなきゃならんのだなぁ!』などと考えてしまうのである。ホントは正直に心の中にあることを口に出せばいいものを 、なんとなくカッコつけようとするのである。

 こんな時こそホンネとたてまえを使いわけることなく、いつも心のままに発言しなければならないのだとつくづくと思う。

 閑話休題

さて、一つの問題についてもたくさんの意見や考え方があり、実はそのどれもが正しいということがしばしばある。立場や背景の違いが意見を異にさせているのであって、それぞれの立場から見ればお互いに自分の主張が正しいのである。

 そんなポジションの違いの中で議論を経ながら具体的な一つの方策、施策を決定していくことこそが政治の一場面であろうと考えている。その際に大切なことはキチンとした議論がなされることと、その議論の内容や過程が周囲に対してしっかりと伝えられていくことだと思う。

 ところで、世の中には誰がどういう意見に与しているのかということが自分が判断する際の大きな要素だという人がたくさんいる。そんな「人についていくという思考パターン」が存在するからには、議論に参加しているものは自らの主張を明確にし立場を鮮明にすべきである。そういう意味では、政治家に関わるものは自分一人ではないを知らなければならない。したがって時々に自分の意見を使いわけるということがあってはならないのだし、正直に発言し行動することが求められているのである。

 もっと言えば、政治に関わるものは生活や行動の全てに、一貫した姿勢や倫理性さえもが要求されているのである。人目につかないところでもゴミを拾ってポケットに押し込むような姿勢を持ち合わせているべきなのである。大変に難しいことだけれどそういう生き方を目指して行きたいと思う。

 ところで尊敬する政治家はだれなのか。

 僕は、かつて法務大臣 稲葉 修氏の名前を出している。威厳と軽妙さを同居させたような人物像に憧れている。そして「わたしは政治家であったことに感謝している。政治家であったからこそ人の道を踏み外さずに今日までやって来れたのだから。」という彼のことばに感銘しているからである。思うところの多い言葉ではないか。この言葉を心に銘記して、正しく生きて行きたいものだ。

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