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もう一度、「花を召しませ…」

森 雅志 2005.12.05
 10月の後半、富山県南米協会の訪問団の一員としてブラジル・アルゼンチンを訪ねる機会を得た。遠いところだとは聞いていたが本当に遠かったというのが実感だ。帰国に要した時間を計算してみると、ホテルを出てから自宅までの所要時間が39時間であった。こんなに長い旅は初めてのことであり、時差ぼけの解消に一週間以上要してしまった。
 しかし1908年に始まった南米移民の約100年に及ぶ歴史を思ったとき、長旅への愚痴など口にすべきではない。現地でお会いした県出身者の話では戦前で90日、昭和40年頃でも45日の船旅だったそうである。なによりも皆さんのその後の苦労を思えば頭が下がるだけだ。その道のりこそが人生という熱く長い旅だったのだから。
 お会いした県人の多くは深く刻まれた皺に意志の強さと苦労を滲ませているものの、全体に温和な表情であった。優しさと強さが同居しているとでも言うべきか、とてもかなわないなと感じさせられた。移住者とその家族の一層のご発展を願うばかりである。
 現地では花を栽培しているという多くの農家の方と会った。特にアルゼンチンでは花の栽培で成功している人が多いとのこと。ハウスによる花の栽培は勤勉な日本人に向いているのかもしれない。一年を通して多品種を栽培し出荷していくことの苦労話を聞かせてくれた皆さんの表情は言葉とはうらはらに実に嬉しそうであり羨ましく感じた。
 ところで、そんな生花農家による安定出荷もあってか、ブエノスアイレスでは街のいたるところに花屋があった。花屋というよりも歩道上に小さな店を置いた、花スタンドとでも呼べば良いような店である。これが街のあちこちにあり、少量ずつではあるが多種多彩な花を並べているのだ。それによってまるでヨーロッパの古都のような佇まいのこの街に彩りあふれるアクセントを持たせているのである。こんなに沢山の花スタンドがあって、(なにせ極端なところは約200㍍おきにあるのだから)はたして商売が成り立つのだろうかと心配になるくらいだ。僕が花を買うことはなかったが、売り子のオネエサンが嬉しそうに仕事をしている様子を眺めていると心が和んだ。夕方になってバスの車窓から街の様子を見ていると小さな花束を持って帰宅を急ぐという風情の人をたくさん目にすることができた。その瞬間、素晴らしい街だなと僕は思った。生き生きとして花を栽培する富山県人がいて、街にはそれを売るスタンドが溢れていて、キヨスクで新聞を買うように花束を買って帰宅する市民がいる。そんな街が羨ましくなった。
 以前に「花を召しませ…」と題したエッセイを書いたことがあるが、もう一度、僕らも花を買いませんかと言いたくなった。記念日じゃなくても花を買って帰宅する、そんな習慣を定着できたら僕らの街にも花スタンドがたくさん誕生するかもしれないのだから。



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