過去のエッセイ→ Essay Back Number

鉄路復旧への思い

森 雅志 2007.10.05
 平成16年10月の台風23号の被害で不通となっていた高山本線の猪谷駅と角川駅の間が9月8日に復旧した。約3年振りに全線開通したわけである。
 被害が発生した直後に現地を視察する機会があった。惨状は予想をはるかに超えるひどいもので、率直な印象として、復旧はもう無理なのではないかとさえ感じさせられた。ほとんどの鉄橋は流出しており、あちこちで道路や線路が跡形もなく流されていた。線路だけが宙吊り状態でブラブラしている箇所が何箇所もあった。鉄路の復旧の工事に着手する前に、まずは道路の復旧が必要であり、部分的に工事をするにしても重機を運ぶことができない状況であった。
 隣の県のことではあるが、僕も国土交通省の会議などで我がことのように惨状を説明し、復旧を急ぐように訴えたこともあった。
 しかし、高山本線を復旧するかどうかは、JR東海の判断次第だったのである。ただでさえ不採算路線を廃止しようかという風潮の中で、高山本線の工事だけで50億円を超えようかと見込まれた復旧工事が迅速に進むとは思えなかった。その復旧が三年を待たずに成ったのである。本当に有難いことだと思う。JR東海が自らの社会的使命をしっかりと踏まえて、採算性のみで判断せず、鉄道会社としての責任を立派に果たしたということだ。あっぱれだと思う。沿線の人々にとって高山本線が如何に大切であるかということを経営陣がしっかりと認識していたことが見て取れる。飛騨市の出発式でのJR東海社長の挨拶も心を打つ素晴らしいものであった。
 その式典の最後に利用者代表として高校三年生の少女が謝辞を述べた。彼女はこの二年半の間、毎朝4時に起きて通学していたという。代替バスはあちこち迂回して運行するため通学に要する時間が大変だったというのだ。卒業の半年前になってやっと鉄道で通学できるのである。彼女が自らの大変さを語る以上に、自分のための母親の苦労に対して感謝を述べたくだりでは思わず目頭が熱くなった。
 式典が終わり、富山駅に向けて特急ひだ号で帰ってきたのだが、古川駅のみならず、通過駅である途中の全ての駅は復旧を祝う住民であふれていた。沿線の住民が全員動員されたのではないかと思うほどの皆さんが、通過していく僕らの列車に対して、満面の笑みで手にした小旗を降り続けるのである。僕らにはうかがい知れない復旧にかける思いを感じ、目頭がまた熱くなった。不通になっていた間の苦労がしのばれる。生活路線となっている鉄軌道の価値を再認識させられた。
 駅の構内のみならず、沿線の家々からも、車の中からも、みんなが手を振る光景は感動ものであった。遠くの畑で農作業をしていた僕と同世代と思しき男性が、作業の手を止め、力の限り手を振っている様子を認めたとき、ついに涙を抑えることが出来なかった。
 頑張れ!高山本線。未来に向けて走り出せ。

目次