過去のエッセイ→ Essay Back Number

いまふたたびの原節子

森 雅志 2011.10.05
 5月のニューズウィーク誌に創刊25周年企画として「日本が秘めた真のポテンシャル」という特集があった。震災からの復興に向けて日本の潜在力を再確認するという企画は時宜を得たものと思った。その中に「世界が尊敬する日本人25人」という記事があり、ハリウッド俳優の渡辺 謙、スズキ会長の鈴木 修、アーティストの村上 隆など世界で活躍する人たちが紹介されていた。
 その25人の顔ぶれの中に原 節子が入っていて驚いてしまった。あの「永遠の処女」と呼ばれた往年の大女優、原 節子なのである。なぜ今、原 節子なのか。なぜ世界で評価が高いのか。不思議な思いで記事を読んだ。英国映画協会が全作品を回顧上映するなど、かの地において小津安二郎の評価が高まっているとのこと。それとともに小津作品に欠かせない女優である原の評価が高くなり、今や伝説的な存在になっていると記されていた。外国では約50年前の引退時よりも間違いなく有名だ、とも書かれている。そんなことになっているとは知らなかった。確かに「東京物語」は名作だと思うし、戦争未亡人役の原は穏やかな聖女の雰囲気を感じさせていた。美しさや上品さ、そして輝きは日本人離れしていたと思う。でもここにきて再び注目を集めているとは知らなかったし、驚きもした。
この記事をきっかけとして、僕も注目してみようかという気になり、小津作品に限らず何作かのDVDを購入し集中的に原 節子の映画を見てみた。小津安二郎監督の「晩春」、「麦秋」、「秋日和」、「小早川家の秋」であり、成瀬巳喜男監督の「山の音」、「めし」、黒澤明監督の「白痴」などである。また、「原節子 あるがままに生きて」という文庫本も読んでみた。それぞれの映画はその製作された時代が古いだけにストーリーの展開やテンポに間延びした感が否めないけれど、近代化する日本社会の中で失われていった伝統的価値観を感じさせてくれて良かった。何よりも原 節子という女優の美貌と気品に圧倒される。そして静かに抑えた演技も心に残った。小津安二郎の言葉を借りれば、演技をしない演技が素晴らしい、ということになる。なかなか難解な演技なのである。
しかし何よりも原 節子を伝説化させているものは、亡くなった小津の通夜に姿を見せて以降、今日に至るまで公の場にいっさい出てこないことにある。女優として油の乗り切った時期でありながら、ロマンスも噂された小津の死を契機として静かに身を引いたのである。惜しまれながら女優業を引退したのである。作家高橋 治は小津の死に殉じるかのように身を引いたと表現する。なんという潔さ。引退しただけでなくその後はいっさい公の場に出ることをせずに静かに暮らしているのである。なんという高潔さ。この生き様に感動せずにはいられない。
辞めると言ってから数ヶ月辞めなかった人や、言葉が過ぎて9日間で大臣を辞めた人や、よく分からない理由で突然引退したお笑い界の大御所など最近いろんな人が辞めたり引退したりしたけれど、原 節子の身の処し方とは大きな差がある。原は今も静かに鎌倉で暮らしているらしい。深みのある生き方ではないか。
芯の通った女性の強さは恐るべし。山口百恵もしかり、天晴れである。細川ガラシャの辞世の句を思い出す。「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」。
潔く生きて行きたいものだ。


目次