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孫の力

森 雅志 2012.07.05
「孫の力」という名前の雑誌がある。祖父母が孫の成長の様子から得られる感動が綴られていたり、困難な時代の中で孫の世代のために祖父母世代が今をどう生きていくべきなのかといったことが述べられたりしているユニークな雑誌である。そう言ってしまうとかた苦しく受け止められるかも知れないけれど、実際の内容は肩がこらないものとなっている。例えば「この夏、孫といっしょに山デビュー!」とか「ジィジとバァバのスタイルブック」「明るい農孫」とかといった面白い特集記事が並んでいるのだ。祖父母世代にオススメの雑誌だと思う。
 この雑誌が発刊されてから一年が経ったとのことだが、この雑誌誕生のきっかけになったという本が紹介されていたのでその本も読んでみた。島 泰三という人の著書「孫の力」(2010年、中公新書)という一冊である。
 著者は京都大学名誉教授で財団法人日本モンキーセンター理事長をつとめた人。ニホンザルなどの生態の研究者なのである。動物の生態研究の手法で自らとその孫を観察した貴重な、かつ面白い記録なのである。初孫が誕生してから小学校に上がるまでの6年間の観察記録。ヒトの子どもの科学的観察ということだ。しかし一貫して流れているものは著者の初孫に注ぐ慈愛なのである。著者は「生まれてからの六年間という年月は、どの子もほとんど同じ発達の道筋を通るのだろう。(中略)しかし、その最初の六年間こそ、心が花のように開く奇跡としか言いようのない事件が続けさまに起こる時代であり、その奇跡に立ち会えたのはじつに幸せなことだった。」と記す。この一文でこの本の良さが伝わると思う。
 僕は「孫の力」とは孫の愛らしさが祖父母に与えてくれる力であり、子どもとは違う距離感で接することにより得られる癒しの力のことなのだと思いながらこの本を手にしていた。ところが著者の主張はそれにとどまらないものであった。未来を担う世代である孫たちが生きていく上での道標になるような祖父母でなければならないと説くのである。人生経験や知識といった蓄えは使ってこそ価値があると言う。「孫の力」ということは孫のために発揮されるべき祖父母の力という意味でもあるということなのだ。
 あの湯川秀樹博士が5歳のころから祖父によって中国古典を習ったことが想起させられる。湯川博士は意味も分からず素読を続けさせられたのだが、これが決定的に重要だったのである。彼の教養の基礎はここにあったのであり、物理学で業績を上げる源だったのだ。祖父の教養が孫の力になったということだ。
 もちろん、そんなことが誰にでもできる訳がない。それでもちょうど良い距離感でいつも孫を見守ってやることはできるはずだ。子どもの頃、小学校から帰ると家には祖母がいて、「おかえり」と言ってくれた。祖母から深い意味の言葉を聞いた記憶はないけれど、この「おかえり」がありがたかった。それでいいのだと思う。この距離感が大切なのだ。
 そのためには孫と出掛ける機会を持つことが効果的だと思い、7月からファミリーパークと科学博物館において新たな取り組みを始めた。孫と祖父母が一緒の場合は入場料が無料という仕掛けである。これによって「孫の力」の見せどころが増えると良いのだが。
ところで、わが家に初孫が誕生する可能性は今のところ感じられない…。まずは娘たちに良い恋をしてほしい。命短し恋せよ乙女か。

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