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カラオケ嫌い?

森 雅志 2012.08.05
 僕はカラオケをめったにしない。あまり好きではないからである。少なくともこの2年間は一度もカラオケで歌ったことが無い。できればこのままカラオケに近づかないように生きていけたら良いとさえ思っている。(そこまで決意するほどのことでもないけれど…。)
 では、何故に好きになれないのか。一言で言えば上手く歌えないからでしょう。最近は宴会が終わった後の二次会はほとんど無いものの、以前は時々に酒場に繰り出すことがあった。そんな時には酔った勢いで歌ったこともあるし、いろいろな人の歌を聴きもした。そして、世の中には驚くほどの歌い手が多いものだと感心させられることがしばしばであった。わが身の非才を知れば歌を忘れることになるのは当然である。さらに言えば歌えるレパートリーが少ないという問題もある。勧められても選曲ができないのである。まあ、そんなこんなでカラオケ嫌いの偏屈者が出来上がったのであった。
 もっとも、カラオケが好きじゃないと言っても歌うことまで嫌いという訳じゃない。高校生の頃はコーラスクラブに入って歌っていた。そのころはコールユーブンゲンの練習曲集で基礎から勉強をしたし、メンデルスゾーンの「歌の翼に」やシベリウスの「フィンランディア」などを練習して県民会館でのコンサートにも出た。学生時代には友人のギターをバックに酒場で流しのまね事さえしていた。また、ここ10年ほどの間にも生演奏のステージで歌ったことが何度かある。本当は歌うのが大好きなのだ。ただし生演奏に合わせて歌うことが。カラオケとどこが違うのかと問われると上手く説明できないのだが、呼吸のあわせ方の違いというところかな。コーラスを例に取ると分かりやすいと思うが、大切なのは全員の呼吸が合うことなのだ。みんなの心が一つに繋がることなのだ。その結果としてハーモニーが生まれてくる。生演奏で歌うことも同じだと思う。演奏者と歌い手が呼吸を合わせることが必要なのだ。言い方を変えると歌い手の思いに演奏者が合わせてくれることがポイントだとも言える。そこのところがカラオケとの違いなのだと思う。カラオケの場合、歌い手がカラオケに合わせなければならない。その点で僕には才能が無いということなのだ。要するに下手ということ。
 いずれにしても歌うことや楽曲を聴くことは心を豊かにしてくれる。中学や高校の頃には音楽を聴いて涙が出たということが何度もあった。さすがにこの歳だとそんな感受性は残っていないものの、それでも流れてきた楽曲に心を動かされることは多い。それが歌の持つ力というものなのだろう。そしてその力が多くのカラオケファンを生んでいて、僕をも歌好きにさせているのだ。
 さて先般、富山大学名誉教授の中村義朗先生から富山市立図書館に対して合唱や音楽に関する貴重な資料、約7000点の寄贈をしていただいた。先生が50年以上にわたって集められたものである。大変にありがたいことだと思う。中にはたくさんの楽譜もあるとのこと。大切にしなければならない。
 僕は最近、オペラの「ホフマンの舟歌」がお気に入りでいろんな人の演奏や歌を楽しんでいる。先生の資料にはオペラ関連のものも多いとのことなので楽しみが増えた。もちろんアリアは無理だけど、この際だから寄付していただいた楽譜を手がかりにしてみんなでコーラスクラブを立ち上げますかな?

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