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玄関を掃除する

森 雅志 2014.03.05
 久しぶりに玄関前の石段を掃除する。冬の間は雪が積もったりして掃き掃除をしようにもなかなか機会がない。何よりも寒風の中、戸外で作業をしようという気にならない。そんなこんなで年末から一度も掃除をすることが無かったのだ。ときどき気にはしていた。枯れた松の葉が石段に溜まっていたことも目にはしていたのだ。もうすぐ3月になろうかというこの時期になって、やっと重い腰を上げたというしだい。きれいになった石段を見れば気持ちもスッキリとするのだから、もっと頻度よくやれば良かったと反省をする。
 一方、玄関の中はというとちょっと事情が違う。わが家には表の玄関と裏口側の玄関、そして勝手口というふうに3カ所の玄関がある。このうち、表の玄関はいつもピカピカに掃除がされている。月に一度は家事代行サービスの人が来て作業をしてくれているのだから当然と言えば当然なことではあるが、実は僕自身も玄関の掃き掃除をときどきやっているのである。ほとんど来客も無く、僕らも通常は勝手口から出入りしているのだから、そもそもあまり汚れない玄関ではある。したがって掃き掃除と言っても大した作業にはならない。大した作業ではないからこそときどき思い出したように掃除をしている。
 実のところ、僕は掃除が好きなのである。廊下のモップかけも大好きである。黙々と掃除をするという作業は家の中がきれいになるという効果以上に自分の気持ちをスッキリとさせるという大きな効果をもたらしてくれると感じている。だから、掃除機で埃を吸い取るという作業では満足を得ることができない。モップで廊下を拭くとか箒を使って玄関を掃くとかといった時間が好きなのである。とりわけ玄関を掃くという作業は、落ち着いた気持ちにさせてくれると感じるので大好きなのである。
 さて、僕は社会の最小単位は家族なのだと思っている。誤った個人主義という考え方が社会に広がってしまい、その結果として社会の最小単位は個人だと考えている人が多い。個人のプライバシーというものを強調するあまり家族の間においてさえ個人の権利を主張するという、本来の日本社会とは違う家族が増えているのではないのかと心配をしている。そうじゃないだろうと僕は思う。世間というパブリックなものに対して個(プライベート)というべき単位は個人ではなくて家族なのだと思っている。その意味で言えば、玄関という場所は、家庭というプライベートな空間とパブリックな社会とをつなぐ出入り口なのだと思う。だから、玄関を掃くということは家族のことを考えるということにつながり、家族と世間や社会とのあり方を見つめる機会なのだと思っている。勝手にそんなふうに考えながら、一人で満足顔をして箒を動かしているのである。その結果、わが家の玄関はいつもピカピカということになっている。
 ところでわが家の玄関には今、お雛様の描かれた小さな衝立とお雛様の木目込み人形が置かれている。寒い朝だったけれど、頑張って僕が置いたものだ。おかげで春の雰囲気があふれる玄関となっているのだ。掃き掃除をするだけではなくて、季節の変わり目にはこうやって飾り物を置き換えたりもしている。そして、こういう作業もまた楽しいものだと感じている。もっともお雛様の場合は片付けるのが遅れると娘たちに悪い影響が出るかもしれないから気を付けなきゃね。

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