平成16年12月28日

 まったく災害の多い年であった。みんながそう回顧している中でまた新たな大災害の発生である。26日に起きたスマトラ沖の大規模な地震と津波による被害は甚大である。特に津波の恐ろしさに驚いてしまった。インドやスリランカはもちろん、遠くケニアやソマリアにまで及んでいる。今朝の報道では津波による死者数を2万人超と言っていたが、情報が集まるにつれおそらく拡大するに違いない。地震だけなら倒れた建物の中で生存していたという人もあるだろうが、津波によって一瞬のうちに流された行方不明者は絶望的な状況だろう。
 家族でプーケット島で被災し一人だけ助かったという12歳の日本人の少年の映像をTVニュースで見たが、少年が事態の深刻さをどこまで認識しているのだろうかと考えながら同情を禁じえなかった。10カ国にもなる被災国には彼の様な被災者が、そしてその家族が無数にいる。みんなが悲しみの淵にいるのだ。人間は自然の驚異に対してこれほどまでに無力な存在なのか。途方に暮れる思いである。
 被災者に対してお見舞いを申し上げ、国際的な支援体制が早期に展開されることを期待したい。津波情報の伝達体制についてわが国の問題だと認識することも大切だ。同時に地球が発しているメッセージの意味について真剣に考えてみなければならないと思う。
 今日は御用納めである。(一年間、お世話になった多くの人に感謝申し上げる。)年末年始の期間にゆっくりと思索する時間を取りたいと思う。

平成16年12月16日

 奈良市の小学一年生の女児が誘拐され殺害された事件で、犯人が母親の携帯電話に遺体と見られる写真を送付してきたことだけでもはらわたが煮えくり返るくらい腹の立つことなのに、今度の「次は妹を狙う」との内容のメールが届いたとの報道にいたっては殺してやりたいほどに腹が立つ。狂気をおびていると思う。警察の奮闘を願う。

 ところでこのことの報道を今朝のテレビで見ていて違和感を感じた。それは赤色の携帯電話のメールの受信画像が放送され、はっきりと「次は妹を狙う」という文字が映っていたことについてである。母親の携帯電話そのものをカメラに収め放送できるはずがないのだから(夕刊によれば携帯は県警が預かっていたとのこと)、おそらく放送局のスタッフが手元の携帯にわざわざ入力した上でそれらしく放送したに違いないと思う。
 視聴者に具体的なイメージを抱かせようとする趣味の悪いヤラセじゃないか。どうも最近のテレビ報道はこのような類のことが多い。報道番組の製作者の感性によって、或いは恣意によって必要以上に部分刺激が発信されているのだ。わざわざおどろおどろしいナレーションで関係者の証言を再現するといったことも多い。事実を取材に基づいて報道することがテレビ報道のあるべき姿じゃないのかと言いたい。おかしなイメージ映像を作ってまで報道するのは自ら取材力不足を自白しているようなものだ。
 かつて久米宏が突然素っ頓狂な声を出したり、必要以上に顔の表情を作って話してみたり、一方的に自分の短絡的なコメントを述べて放送を終えたりしていたが、そういった放送姿勢がやたらに多いと思う。カイワレ大根事件を持ち出すまでもなく、程度の悪い話だ。 だからテレビの報道の一部はまったく信用しないことにしているし、つとめて見ないようにしているのだ。

平成16年12月9日

 「人口減少経済の新しい公式」(日本経済新聞社刊)がおススメである。面白く読んだ。同書によれば、出生率と高齢化率との間には各国ともに明確な関係が観測され、高齢化率が上昇すると出生率が低下する関係にあると言うのだ。何故そうなるのかは不明だが現象としてそうなっているということである。寿命が伸びることによる人口増加を出生者数の減少によって調節する生物的メカニズムが働くのかも知れないとも判じている。面白い現象だが、本当にそうだとすれば恐ろしいことである。これからベビーブーマーの世代が高齢化していくことを思えば少子化対策など取りようが無いということになるからだ。
 確かに、下がり続けている合計特殊出生率を見てみるとこの説を否定できないという気にさせられる。豊かになり医療が発達したことにより人口をコントロールするメカニズムが機能しだしたとすれば皮肉な結果である。自然の摂理や生物の持つ種族保存のための自己コントロールには抗えないのかも知れないなア。せめて生まれてきた子供を社会全体でしっかりと育てていくことが僕らのできることなのか?

平成15年12月3日

 必要があリ戸籍の全部事項証明書を取ってみて気付いたのだが、今日は我々夫婦の結婚記念日であった。それも結婚25周年、いわゆる銀婚式という節目の年であった。
 思えば25年前の今日はどしゃ降りの日であったが、当時の僕の自宅でささやかな結婚式をした。特別な披露宴はしなかった上に、翌日からすぐに仕事が待っており、少し日を経てから九州へ遊びに出かけたことが思い出される。以来、今日までいろいろな事があった。妻が大病に臥したこともあったが、二人の娘にも恵まれそれなりに暮らしていられるのだから幸福な25年間であったと言えよう.仕事はもちろん、選挙のことなどもありカミさんには随分と苦労をかけた。僕の人生の半分の期間を一緒に暮らしてきたのだから、戦友であり、運命共同体である。毎日を忙しく過ごしているけれど、それが一番良いことなのだと思う。口に出すのは照れくさいが、改めて感謝の思いを感じている。
 この文章の書き込みを妻はすぐには気付かないだろうけれど、こっそり書き込むことで結婚記念日を忘れていたことの言い訳にしようと思う。オカアサン、これからも宜しく!

平成16年12月2日

 昨日、あるパーティーで生まれて初めて生バンドをバックにして歌った。聞いてくれた人には迷惑だったかもしれないが、自分としては大変気持ちよく歌えて感動した。良い経験になったと思う。さすがにプロの演奏者だ、チョッとしたリハーサルをしただけで僕のキーやテンポに会わせて演奏してくれた。流石だナアー。
 僕はカラオケで歌うということがほとんど無い。だから僕の歌を聞いたという人は少ないはずである。そんな僕がいきなりピアノにあわせてもらってバラード(冬のソナタの挿入歌)を歌ったのだから無謀というものである。その意味では恥かきイベントであったが、周囲の人を驚かせるという効果はあったからパーティーの余興としては良かったのではないのかと思う。
 告白をすると、カラオケというものが世に出現する前の時代、つまり学生時代には友人とよく歌っていたのである。当時流行していたフォークソングなども歌ったが、友人が奏でる生ギターをバックにしてバラードやムーディーな曲も歌った。それどころかスナックで二人で歌ってタダ飲みをさせてもらったことが何度もあった。見方をかえると東京・中野駅界隈で学生の流しをやっていたようなものだ。懐かしい思い出である。
 この時の学生流しのギター弾きが現在音楽プロデューサーとして活躍している須藤 晃君である。尾崎豊や浜田省吾、玉置浩二などをプロデュースしてきた彼である。彼も酔客を前にして僕と二人で歌っていた日のことをよく記憶しており、数年前にそのことが話題になったときにスナックの店名まで覚えていたのには驚いた。
 ピアノ演奏をバックに気持ちよく歌った勢いで彼のギターで「My Way」などを歌ってみたいという気分になっている。歌の方はともかくとして久しぶりに電話でもしてみようか‥‥。
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