いよいよ押し詰まってきた。今日が今年の御用納め。あいも変わらずバタバタしながら時間が過ぎていく。あっという間の一年だったなあ。選挙があったし、カナリア諸島でのOECDの会議に参加というビッグイベントもあった。つい数日前には三年前から進めてきた市内電車の環状線の運行開始というめでたいこともあった。順調な一年だったと思う。多くの人の力添えのおかげである。ありがたいことだと思う。感謝に耐えない。
閑話休題
先日、めったに目を通さない週刊誌を手にしたところ富山県の「住みよさがすごい田舎 富山県」というパブリシティー広告が目にとまった。柴田理恵が、「富山県は田舎のイメージがあるけどいろいろな面で全国トップクラスの水準があるので田舎と言ってもすごいのよ。」と語っている内容である。それ自体はいかにもありがちなアイロニーな体裁で、なるほどねー、といったところ。 「持ち家率も就業率も全国トップクラス。保育所の入所待ちはなんとゼロ!小学生の学童保育も充実していて、子育てと仕事が両立しやすい環境なのよ」 持ち家率が高いことが全国の都会人に魅力的なことと映るのかどうかとという気がしないでもないが、まあ、ここまではいいだろう。 しかし次に続く表現に如何なものかと思った次第。なんと「国立大学の進学率だって全国トップレベル。」と続くのである。なぜ国立大学なのか。どうして国立大学の進学率が高いことがすごいことなのか。明治以来、富山県内に底流のように流れてきた官立志向、官尊民卑の思想そのものじゃないか。国立大学のほうが私立大学より優れているという富山県教育委員会の発想そのものじゃないか。それは同時に県立高校のほうが私立高校より望ましいと言っていることになる。私立学校のもつそれぞれの建学の精神や校風の意味を評価することを否定し、東大至上主義にも通じる時代遅れの思想が県が行う広報活動にまで表れているということだ。こんなことじゃ自由な発想や大胆な行政運営は望むべくもない。文字通りすごい田舎の発想じゃないか。 百歩譲って、せめて大学進学率がと言えないのかと県の担当課に聞いたところ、「私立を含めた大学進学率だとトップレベルとは言えないので…。」という回答であった。そこでわざわざ国立大学の進学率のレベル分析を県が調査して出したのだとも言っていた。そんなことまでしてトップレベルだと自慢することに何の意味があるのだろう。年の瀬にふさわしい笑い話である。全国の人が笑っているに違いない。 ところで柴田理恵さんは明治大学だったっけ?県の担当者もよく柴田さんに依頼したもんだ。いやいや柴田さんが僕より寛容なお人柄だというべきか。明るい笑顔が印象的な広告となっている。めでたし。めでたし。
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