今日の某紙の人生相談欄の相談内容には驚いた。そもそもこういうコーナーと言うかパートはあまり読まないのだが、たまに読むと驚くことが多い。それが面白くてタマには目を通す。今日は、そのタマの日だったのである。 そんなことはどうでもいい。驚いた内容は概述すると次のようになる。 相談者は長く不妊症に悩んでいた。つらい不妊治療の結果、子を授かり夫婦のみならず双方の親も喜んだ。しかしながら、性別が男だと分かると周囲はがっかりし、育児中の相談者も「女の子なら良かった」という思いが日に日に大きくなっている。こんな私は自分の気持ちをどうしたらいいんでしょう? 思わず、何で?と思ったのが正直なところ。相談者の言を借りれば、「男の子を産んでもお嫁さんに取られるだけ」ということらしい。「男の子を産んだ自分は負け組みで、女の子の母親が勝ち組」だという気がするらしい。 馬鹿な時代になったものだ。男の子だろうが女の子だろうが、つらい不妊治療をへて子を授かったときの感動を忘れてしまったのかと言いたい。僕ら夫婦も長く子がいなかった。だからこそ長女を授かったときの感動と喜びを忘れない。産まれた日の感動はもちろん忘れることはないが、それよりもカミさんが産科医からの帰り道で偶然に僕の車と行き会って、「お目出度だと言われた。」と嬉しそうに告げてくれた日の感動を忘れない。次女が産まれる直前にカミさんと長女と僕の三人で産科医に向かって行った夜のことも忘れない。僕ら夫婦は生まれる前に子の性別を知りたいとは思わなかった。男の子だろうが女の子だろうが、子を授かることに感動していたのだ。親の思いとはそういうものだと思う。相談者にしても妊娠を告げられたときは同じ思いだったのではないかと思う。それを忘れてしまって、なんてことを思うのだろうか。それも家族も一緒になって。夢を手にしたらこんどは違う夢を求めると言えば聞こえが良いが、そういう生き方を強欲というのじゃないのか。無垢な心の子に対して恥ずかしくはないのかと言いたい。みっともない家族だと思う。男の子だろうが女の子だろうが、まともに育った子供ならそんな家族を見捨てて自分の人生を切り開いていくに違いない。もう一回言おう。馬鹿な時代になったものだ。
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