平成23年1月23日

 思うところがあって突然として墓参りに行ってきた。それぞれお元気でいらした頃に大変にお世話になった方々ばかり。恩のある方々である。
 今朝の5時半に自宅を出て全部で5個所の墓前にお参りした。もちろん、どのお墓も雪が積もっており、車を停めた場所から降りしきる雪の中を黙々と歩いた。深いところは膝くらいまでの積雪があり、長靴を履いていたとはいえ難儀した。
 1人でひっそりと、しかも急に思い立って墓参したのだから、お供えするお花も線香も蝋燭もない。ただ手をあわせて頭を垂れただけのことである。それでも自然に故人の名前が口をつき、「お世話になりました。」とつぶやいていた。
 それぞれ幽界に入られた時期は違い、生前にご交誼いただいた期間も違う。それでも、間違いなく大恩をいただいた方々である。静かに手をあわせていると、それぞれのお人柄そのままに話しかけていただいた。励ましてもらった。そんな気がした。
 お陰様で謙虚な気持ちになれた。モヤモヤとしていた心の内がすっきりとし、霧が晴れたような気分になれた。人は誰しも迷いや悩みをかかえて生きている。もとより、僕には僕の心の内面がある。自分自身さえ確とはしない迷いや揺れがある。何処に向かえば良いのか分からないこともある。そんな心の動きが、恩ある人の墓前で手をあわせることで落ち着きを得たように思う。明鏡止水とまでは言えないものの、少しだけ曇りが取れ、凪ぎに近くなったような気がする。
 墓前に参るとはこういうことだったのだなあ。

平成23年1月18日

 過日、市内のある地区の成人式に出席した。壇上に立って挨拶する段になって驚いた。参加している成人者の半数ほどの数の保護者が出席していたのである。成人を祝う若者達の親のことを保護者というのも変な表現ではあるが…。いずれにしても20歳を過ぎ法律的にも社会的にも一人前の大人として認知されたことを祝う会に親が同伴しているというのは矛盾以外の何ものでもない。成人するとは自立するということであり、また自律、自制ができるということだ。であるにもかかわらず、親に手を引かれて出席しているとしたら笑い話にもなるまい。
 めでたい式の写真を撮りたいと言うのだろう、あるいは初めて晴れ着を着たのだからその凛々しい、あるいは艶やかな晴れ姿を目に焼き付けておきたいと言うのだろう。気持ちが分からないでもない。そして日本中で同じ光景が見られる時代なのだろう。しかし、どこかがおかしい。矛盾を感ぜずにいられない。こだわる僕が時代と遊離しているということか。
 幼稚な時代になったものだ。やがては入社式にも親が同伴し、新婚旅行にさえ同伴する時代が来るに違いない。そうやっていつまでも親が子供を扶養し続ける日本に成り果てていくのだろうか。

 一方、石垣島のある地区の成人式の報道には心を打たれた。来賓を含む参加者の前で、成人者がひとりづつ自らの親に向かって感謝の言葉や自分の気持ちを述べるのである。涙ぐむ親もいれば、頷いている親もいる。かたく抱き合う親子もいる。家庭ではなかなか口にできない思いも行事として続いてきているから照れずにできるのだろう。親もまた自分の親にそうしてきたに違いない。素晴らしい伝統だと思う。羨ましくもある。

 そんな番組を見た次の日に驚くべき新聞記事を目にした。豊田市で開催された成人式のアトラクションでゲームがあり、その景品としてアダルトグッズや成人向けビデオDVDが配布されたそうである。トヨタ自動車があるので豊田市は財政的に豊かな市であるがそこまでやるとはねえ。世の中はいろいろあるものだ。

平成23年1月17日

 1月17日である。平成7年の今日が阪神淡路大震災の発生した日であった。僕が初めて選挙というものに挑んだのは平成7年4月に執行された県議会議員選挙であり、1月には既に忙しく各種の会合に顔を出すなど飛びまわっていた。そんな中での17日、テレビから流れてくる情報は信じられない内容ばかりであったことを忘れることはできない。選挙運動どころではなかった。当時は富山県司法書士会会長であったのだが、翌日には兵庫県司法書士会に連絡を取りどういう応援をすべきかの協議に入り、2日目には理事会メンバーの了解を取り付けて義捐金200万円を送金した。自宅や事務所が倒壊した司法書士会の会員にとって取りあえず必要なものは現金だと知らされたからである。理事会を開かずに決定したことは暴走だとのそしりは免れないとは思いつつ、緊急避難的な対応をしたことは良かったと思っている。もしも富山県司法書士会会員から200万円が集まらない場合には全額自分で負担すればよいと腹をくくっていた。
 1月17日はカミさんの誕生日である。だから毎年阪神淡路大震災の日を忘れることがない。逆の言い方をするとカミさん(これからは伊集院 静のように家人と表記しようかな?)の誕生日を忘れることもない。
 家人は今日の誕生日を1人で過ごしている。子供たちには「誕生日だね。」という趣旨のメールを入れるように伝えたものの僕は今のところ何もできないでいる。今晩も新年会の予定が入っている。もっと家族が一緒に過ごす時間を作らなくてはならないと心から思う。16年前に家族を亡くした多くの被災者のことを思えばこそ、そう思う。少し照れるがメールをすることとしよう。

平成23年1月4日

 明けましておめでとう御座います。今年もよろしくお願いします。15年前から年賀状を出さないこととしています。まことに横着至極です。それでも毎年賀状をいただく方が沢山ありあり難いことです。近い将来に公職選挙法の適用のない身分になれば復活したい気持ちはあるのですが…。そうは言っても本音の部分は生来の横着さです。見限ることなく可愛がってやってください。

 さて、僕が初めて市長に就任したのは平成14年1月26日であった。選挙こそ1月20日の投票であったが任期の開始は26日だったのである。したがって今月の25日の到来で満9年が経過したこととなる。つまり26日からは10年目に突入することとなる。この一年間で10年の集大成とでも言うべき大きな事業が展開する訳ではないものの、少なくともこの10年間の取り組みと成果について総括しなければなるまい。細川護煕元総理は「権腐十年」と言って熊本県知事を2期で退いているが。確かに十年も居座ると腐敗するかもしれないなあ。いつも自分の周りに意見してくれる人を置くことを忘れてはならない。いずれにしても当然のことだが腐敗臭のしない10年目にしたい。腐敗とまではいかなくても停滞することの危険は常にある。自戒しながらの日々にしたい。

今年もよろしく願います。
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