忙しい日程が続いている。出張が多くて家を空ける日も多い。そのうえに外食の日も多いことから子供たちとゆっくり話す機会を作りにくい。たまに時間がとれても今度は子供のほうが予定を持っていたりして雑談にしかならない。まあ、なにも深刻ぶって話さなくてもさりげなく世間話ができればそれで良いのだけれども…。少なくとも一緒にいるときは彼女達の表情が明るいので幸いだ。2人とも頑張ってくれている。葬儀に際しての喪主の挨拶で述べたように、親子3人の編隊飛行は低空飛行ではあるけれど今のところ順調だ。ゆっくりと進んでいこう。
「最後だとわかっていたなら」という詩が反響を呼んでいると知って手にしてみた。 あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら わたしは もっとちゃんとカバーをかけて 神様にその魂を守ってくださるように 祈っただろう
あなたが ドアを出て行くのを見るのが 最後だとわかっていたら わたしはあなたを抱きしめて キスをして そしてまたもう一度呼び寄せて だきしめただろう
こんなフレーズで始まる一遍の詩である。9・11の同時多発テロの後、世界中に配信されて話題になっていたという。作者はアメリカ人の女性、ノーマ・コーネット・マレック。同時テロが起きるより以前の1989年に発表されている。彼女は亡くしてしまった長男に伝えたかったのに伝えられなかった思いをこの詩に託したのである。愛する人を亡くしたときに自分の足りなさを感じずにはいられない。後悔を感じずにはいられない。そんな心境を抱えながらも、せめて残されたもの同士が素直に、慈しみながら、支えあって生きていこうよ、と呼びかけている詩なのである。はたして2人の娘たちがどう受け止めてくれるだろうかといういささかの不安はあったものの2人にこの詩を掲載した冊子を送った。それぞれの部屋に持って行ってくれたので読んでみたのだろうと思う。なんの反応もないけれど読んでくれればそれで良い。素直な気持ちで「ごめんね」、「ありがとう」と言いながら生きていけたらそれでいいのだから。
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