さて、どうしても披露しておきたいエピソードがあるので簡単に述べてみたい。 以前に韓国の旅行企画会社から、乗客数が2,000人を超すクルーズ船で日本国内のいくつかの港に寄港する商品を企画したとの連絡があり、富山港にも寄港するので補助金が欲しいとの要請があった。立山アルペンルートにたくさんの観光客を運んでくれるのだから支援をすることにやぶさかではないものの全体の周遊ルートを調べてみて驚いてしまった。なんと日本観光が終わった後、韓国に帰る途中で「竹島」に寄るという日程になっていたのであった。冗談じゃない。そんな企画に補助金を出す訳にはいかない。ルートの変更がない限り交渉の席にも着かないことを伝えるように担当者に指示を出した。当然のことである。
話はここで大きく変わる。
僕は子供の頃から社会のルールを守らない行為が許せない性格である。いい加減な性格に見えて、実のところ偏屈なところがある。富山弁で言うと「偏固(へんこ)」なのである。もちろん生きて行く上での知恵は見に付けているから柔軟さや応用力はある。だからあまり他人と衝突したりしないで生きてこれたのである。それでも根が「へんこ」だから気分によっては他人の行為を許せないと強く感じるときがある。例えば、障害者用の駐車スペースに駐車する健常者や、飲食店の中で大声で騒ぐ人や、静かな店内を子供が走り回っているのに注意をしない親などに無性に腹が立つことがある。もうこの歳なのだから、鷹揚に構えて「困った人だなあ。」などと言ってればいいんだけど1年に一度くらい我慢が効かなくなるときがあって困る。若い頃から危険をもかえりみずいろんな局面で他人に注意をしてきた。そんな経験が時々頭をもたげて来て困るのである。先日もチョットお節介かなと思いつつルール違反を指摘した。そんな時に決まって帰ってくる反応は「何を偉そうに!」というものである。社会の一員として当然なことをしていると僕が思っていても、今の立場がそうはさせないということだ。どうしても「偉そうに」なってしまうということ。だからこそお節介はやめておけばいいんだけど…。小言幸兵衛もやめたくはない。いっそ今の立場をやめますか。
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