自民党が「マニフェスト」という言い方をやめて今度の衆議院選挙の公約を「政権公約」と題したらしい。そして、民主党がマニフェストの信頼を損ねてしまったのだとする。確かにそういう評価をすることができよう。しかし、そもそも論から始めるべきだと思う。そもそも早稲田大学教授の北川正恭氏が2003年頃にマニフェスト論を言い出して以来、多くの政党や政治家、地方議員を含む選挙にのぞむ者たちが流行り病のように「マニフェスト」と称するものを安売りしてきたのじゃないのか。猫も杓子も「マニフェスト」を掲げて選挙に臨んできたのじゃないのか。しかし多くの場合、それは「マニフェスト」と言えるものではなかったのではないのかと僕は思っている。「マニフェスト」と言うからには政策目標を述べるだけでは不充分なのであり、財源を明確にすることと、目標が数値化できるものの場合には目標値を示すことが最低限求められると思う。そしてその達成度をきっちりと検証していく作業がともなうべきであろう。僕は何度かの自分の選挙に臨むにあたって決してマニフェストという言葉を使っていない。誰かが僕の示した「公約集」をマニフェストと称した場合には、その都度「マニフェストではない。」と指摘さえしてきた。何故なら、僕が示してきたものはマニフェストと言える中身ではなく「選挙公約」程度のものだったからである。自分で自信を持って「これはマニフェストである」と言える水準のものを用意できなかったからである。北川先生にマニフェストと称するべきだと指摘された際にも、自分なりの考えを述べさせていただいた。マニフェストもどきをマニフェストとは言えない。今後、選挙に臨むことがあるとしても従来どおり「選挙公約」を示させていただいて、一年ごとに「公約に対する検証」集を出していきたい。マニフェスト流行病から距離を置いて来た者としては「ほら見たことか!」と言っておこうか。
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