昨日、久しぶりにヨットに乗った。今年初めての海行きであった。波は穏やかでありながらそれなりに風があり、その上に、午後からは立山連峰がその全貌を見せてくれるという最高のヨット日和りであった。舟の上では色んな話が出たが、ヨットのベッドで眠る話からボートハウスの話につながり、映画[めぐり逢えたら」にまで拡がっていった。帰宅して手にしたニューズウィーク誌の今週号の特集が「世界を旅する映画ペスト100」というものであり、その中で「めぐり逢えたら」も取り上げられていた。偶然は面白い。 大好きだったこの映画が、今回の特集では『今では古典となった映画』と評されていることに驚いた。ボルティモアとシアトル、そしてニューヨークを舞台として描かれるファンタジー性あふれるこの映画。人間とは夢追い人なんだと思わされる素晴らしい作品だと思う。作中に随所に出てくる街角の風景が素晴らしい。今朝?はかなり早くに目覚めてしまったので、深夜の1時50分から「めぐり逢えたら」のDVDを見た。何度見ても甘いファンタジーに引き込まれる。そしてシアトルの街角や市場の映像、ニューヨークの街角の様子を見て胸を熱くしていた。かつて自分がそぞろ歩きした街並みや、買い食いをした市場などが映画の随所に出てきて懐かしさを募らせてくれたからである。懐かしさは言い過ぎかもしれない。旅の思い出とでも言うべきなのだろう。 シアトルからニューヨークまでガラス造形研究所やガラス工房の皆さんと旅したことがある。まさにこの映画の背景の設定そのものなのである。だからこそこの映画に思い入れがある。みんなで旅した懐かしい思い出。そしてその旅には亡き妻も一緒にいた。シアトルのマーケットやエンパイア・ステートビルのシーンで妻との情景が頭に浮かぶ。そんな大好きな作品が古典と評されるくらいに僕らも歳をとったということだ。このうえは思い出を大切に生きていくこととしよう。
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