平成25年12月27日

 暦のめぐりあわせで今年は今日が執務納め。夜には歳末消防警戒の巡視をして僕の今年の公務も終わる。週末の雪の予報が心配ではあるものの明日から冬眠に入ります。一年間お世話になりました。どなたも良いお年を。

平成25年12月22日

 今は早朝の4時30分頃、昨夜は浴びるように呑んで眠ったのに早くに目覚めてしまった。
無理も無い。昨日の夕刻、5時少し前に大切な友が逝ってしまった。16歳の高校一年生の時代から45年間、いつも一緒に生きてきた大親友を失くしてしまったのだ。嗚呼、何ということだ。彼のこの1年の闘病の辛さを思う。何よりも彼の無念を思う。一昨日に見舞ったときにかすかに手を握り返してくれたこと、別れ際に小さく手を振ってくれたことを忘れはすまじ…。
 2年数か月前に妻が逝った。そしていつも励ましてくれていた大親友が逝ってしまった。歳月はこうやって大切なものを奪っていくのだ。歳をかさねるということはこうやって孤独感に包まれるということなのか。今はまだいい、日が経るごとに喪失感が強くなっていくことは経験済みだ。じっと耐えていくしかないことなのだ。
 五艘光洋! 絶対に君を忘れない。感謝は尽きない。安らかに眠ってくれ。合掌。合掌。

平成25年12月15日

 マンデラ元南アフリカ大統領が亡くなった。世界中から多くの元首や元大統領などが弔問のために集まったことが、マンデラさんの人類史的な価値を表している。マンデラさんの人間としての素晴らしさは顔の柔らかさや表情に表れていると思う。不屈の闘志の顔や困難を乗り越えた苦行の表情ではなく、いつもあの柔らかな笑顔を振りまいていた人間の大きさを思う。心の大きい深い人なのだ。そして優しさにあふれた人なのだと思う。

 マンデラさんが獄中にいたときに毎日読んでいたというインビクタスという詩がある。この詩のことを知った時から机の引き出しにずっとしまってきたコピーを取り出してきて復誦してみた。その強い意志に学びたいと思う。

 インビタクス    (ウイリアムス・アーネスト・ヘンリー作)

私を覆う漆黒の夜
  鉄格子にひそむ奈落の闇
  どんな神であれ感謝する
  我が負けざる魂<インビタクス>に

  無惨な状況においてさえ
  私はひるみも叫びもしなかった
  運命に打ちのめされ
  血を流そうと 決して頭は垂れまい

  激しい怒りと涙の彼方には
  恐ろしい死だけが迫る
  だが 長きにわたる脅しを受けてなお
  私は何ひとつ恐れはしない

  門がいかに狭かろうと
  いかなる罰に苦しめられようと
  私は我が運命の支配者
  我が魂の指揮官なのだ

        

平成25年12月8日

 いくら何でもこんなことが起きるとは!!  確かにボォーッと目覚めたらいいと思っていました。それにしてもこんな寝坊をするとは!! 目覚めて時計を見た時の驚きといったら…。なんと10時間近くも眠っていたのです。10時間も眠るなどということは記憶にないことである。少なくともこの20年間には無かったと思う。開戦記念日だというのに…。緩みすぎだと猛省。明日はちゃんと4時起きだ!!!

平成25年12月7日

 いよいよ12月に突入。忙しかった今年もあと残すところ1ケ月を切ってしまった。疲れが溜まっている感じがするけど全力で走りぬいて行きたい。
 さて、この数週間は異常な日程であった。インドのムンバイ周辺に3泊で行き、翌週には同じ3泊でニュージーランドのロトルアに行き、今週は2泊でフランスのマルセイユに出張という、緯度も経度も無視したかのような強行軍日程。時差ぼけを感じる暇もないよね。そのうえ気温も大きく変わるので,携行する衣類にも一苦労。そして、ゆっくり眠る時間も作れないほどの遅い時間帯での食事会。もろもろの結果としての蓄積疲労という感じかな。
 明日は何の予定も無いので、ボォーッという感じて目覚めたなら、ダラダラという感じで時間を浪費しつつ、ゴロゴロと自堕落な態度で一日を過ごしたいと思う。明後日までには体力を回復して、改めて気力を充実。いつまでもダラダラとするわけにはいかない。頑張るぞ。
 
 ここで止めておいたら、それなりの日記調のひとりごと。

 でも、今回の出張の中で発生した皆さんに知って欲しいエピソードがあるので紹介したい。それは出発の日の小松空港での出来事。小松から最終目的地の空港まで2度の乗換えが必要という日程であり、搭乗手続きには多少の時間がかかるだろうと予想していた。さいわい僕のチェックインは順調に済んだのだが、同行者であるジョセフ・ランゾウさんの手続きに時間を要していた。心配になり聞いてみると、再入国の許可書と外国人登録証の提示を求められているではないか。穏やかな性格のランゾウさんは呆れながらもバッグの中から書類を取り出し提示していた。小松空港では確かに最終目的地までの搭乗券を発券してもらうのだけれども、出国手続きをする訳ではない。何よりも、航空会社の職員がどういう権限があって外国人登録証の提示を求めることができるのか。勘違いも甚だしい。責任者然とした女性にその点を指摘すると、マニュアルに従っているとのこと。そんなマニュアルはおかしいと指摘しつつ、自分の理解のためにちゃんとした根拠を調べて欲しいと頼んでおいた。出発間際に彼女がやってきて僕らに告げた内容に驚いてしまった。なんと不必要な書類の提示を求めていたことが分かったと言うのだ。分かればそれでいいのだけれども…。今までずっと何をやってたんだと言いたい。あらゆる手続きには目的と根拠があるのである。小松空港から国内線に乗る際に外国人登録証の提示を求めることに妥当性も必要性も無いことはチョット考えれば分かることだろう。つまり何にも考えずに惰性で仕事をしていると自白しているような仕事ぶりだということだ。
 富山市役所にもこういうことが無いとは言えないかもしれない。少なくとも僕が若い頃にはそんなことがいくつもあったと思う。市役所の窓口で不必要な添付書類や過剰な記載内容について何度も議論をしたことが思い出される。もう一度謙虚に自分達の仕事ぶりを検証してみようではないか。




 

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