僕は目薬を注すのが苦手である。小さい時から目薬を注す時には身体を横にして寝そべってから注していた。そんなこともあってほとんど目薬を使わないで生活をしてきたのである。そうは言っても、老化が進み目の疲れやかすみに悩まされることが多くなってきた。また、目薬を注した方が良いと薦めていただく方も多くいることもあり、目薬をいつも携帯することとした。そのためには横にならなくても注すことができるようにならなければならず、この連休に特訓をした。おかげさまで、片手で目を大きく開きもう片方の手で注すことが、何と立ったままでできるようになった。大きな進歩である。人間、幾つになっても向上心が必要なのだと思わされた。はははは。いやあ、立派、立派。 さて今朝のことである。先に書いた娘の結婚披露宴の後日談が生まれたので披露したい。あの披露宴は湿っぽくならずに、明るく朗らかな良い宴であったことは先述したとおり。したがって、よくある娘から父への感謝の言葉や手紙の披露というものがなかった。おかげでウルウルすることさえなかった。ただ宴の最後で彼女が産まれた時の体重に相当するお米を入れた袋に赤ん坊の頃の写真を貼ったものを手渡されていた。こんな顔だったななどと思いながら宴の翌日以来仏壇の隣に置いたままにしていた。そんな中、今朝になって米びつの中が寂しくなっていることに気づき、その米を入れようと思い立った。袋に施された包装をはずし、写真をそっと剥がしてみたところ包装に覆われていた部分に短い手紙が書かれてあることに気付いた。「おとうへ」(おとうさんへ の意味)と題された手紙は僕の心に響く内容であった。こんなところに隠されていたなんてと思いながらも嬉しい発見であった。そして、娘たちに気付かれる前にそっと目薬を手にしている僕がいた。今朝の僕の目が充血していたとしたらそれは目薬を注す練習のせいということにしておこう…。
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