文部科学省が2月14日に発表した次期学習指導要領の改定案に信じられないような内容が含まれていた。なんと、聖徳太子の名前を「厩戸王(うまやどのおう)」という呼称に置き換えるというのである。新聞でその記事を読んで、なんじゃそれは!!と絶句してしまった。不明にも歴史学会の常識や論争を知らないので、どういう背景があって唐突に聖徳太子が厩戸王に置き換えられることになるのか分からないでいたところ、過日の産経新聞上の正論欄で、尊敬する拓殖大学客員教授の藤岡信勝先生が詳しく論じていらした文を読んで、その背景にある危うさを感じた。聖徳太子の名は日本人のすべてが日本国の親柱として受け止めている存在であろう。中国大陸との外交において、「日出ずる処の天子、書を、日没する処の天子に致す」という文言で対峙し、日本が支那の皇帝に服属する秩序に組み込まれるのではなく、独立した国家である理念を示した大政治家であり、大偉人である。その聖徳太子という名前が死後におくられた呼称であり、正しい名前は「厩戸王」なのだから、これからは歴史教育上はそういうふうに教えていこうとするのが新しい方針らしい。ちょっと待てよと言いたい。死後に付けられたという理由でその呼称が使えないということになれば、僕らの中で常識化している多くの歴史上の人物の名前を諡号(しごう、おくり名)で言わず、大和言葉の長い名称で言い換えなければならないことになる。そもそも聖徳太子という呼称は今日現在の日本人の圧倒的大多数が敬意をもって認知しているものであり、日本人の精神的価値観の中心にドンと存在する心棒のようなものである。歴史学の学者たちがどんな意図を帯びて文部科学省に圧力をかけているのかは知らないけれど、聖徳太子という呼称を教育から抹殺しようとする意味を理解することができない。今は使われていないけれども、紙幣を代表する言葉として聖徳太子は長く意識されてもきた。それくらいに尊敬の対象として定着しているのである。歴史学上での評価は知らず、聖徳太子は日本人の精神の底流に流れている孤高の光りとも言うべき存在なのだと思う。少なくとも僕はそう思う。「日出ずる処の天子」なのである。それが急に「厩戸王」と言われてもねえ。僕は思う。聖徳太子は聖徳太子なのだと。
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