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身体をみがくな、心をみがけ

森 雅志 1997.04
 最近、髪を茶色や黄色などに染めた若者が多くなった。ピアスをした男性も多い。以前はこういった姿を見かけるたびに、おかしな時代になったものだと思っていた。相手に気づかれないようにしながら「バカか?おまえは」とつぶやいたりもしていた。

 しかしそれも少しずつ慣れてきた。考えて見れば、自由に飾っている彼らの姿も自分たちが若い頃に流行っていた長髪やパーマなどと同じことなのだから、それはそれでいいのだろう。青春を謳歌している若者たちに不快感を覚えることは自分の感性が硬直化してきているということなのだ。アレコレ言わずに静かにしているべきなのでもあろう。

 確かに僕はそう思っていたのである。

 今年の成人式の際も、途中までは確かに僕はそう思って我慢をしていたのである。しかしながらあまりの馬鹿騒ぎのまっ只中に長時間身を置いていた僕は、ついには怒れる中年男となってしまったのだ。

 おそらく親が費用を出したであろう晴れ着に身をつつみながらも一升瓶を抱えてバカ飲みする娘たちや、紫色に髪を染めて狂ったように叫ぶ野郎もいる。そういった連中がこれ以上ないくらいの大声でわめき続けるのである。あげくのはてには酒をまき散らすは、火のついた煙草を投げるは、主催者の挨拶は聞かないは、壇上に上がるは、走り回るはの惨状だったのである。

 それでも僕はなんとか我慢をして若者の振る舞いに理解ある顔をしていたのである。しかし仏の顔もナントヤラ。ついに僕は敢然と怒ったのであった。式の進行を邪魔するかのように騒いでいる者に向かって「静かにしろ!」と怒鳴りつけてやったのだ。

 怒鳴られた若者はもちろんのこと、周囲の人も驚いていた。しかし僕も多いに驚いたのだ。なぜならその若者は一瞬アッケに取られたようだったけれども、直ぐに元の木阿弥化していったからである。僕はその場でひとり浮き上がっていたのだった。どうせ注意しても反応がないのなら、怒鳴ったりしなければよかったのかもしれない。情けなヤ。

 しかしあんな若者ばかりじゃないだろう。きっと僕の怒りを受け止めてくれた者もいたに違いない。それを信じてこれからも時には怒れるオジサンになっていかなければなるまい。ついでにこの際、宣戦布告の意味を込めて若者たちに向かって言っておこう。「着飾って身体をみがく前に心をみがけ」と。