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韓国と私

森 雅志 1998.10
 僕が韓国を旅するとき、例えばソウルの地下街などで、ときどき道を尋ねられることがある。

 初めてソウルを訪ねたときにさえ知らない人から突然に話しかけられたくらいだから、どうも僕の顔は韓国の人たちのもののようなのである。周りの人たちから言われるところによれば、とりわけ全羅南道の人たちの顔の特徴が色濃いそうである。

 また僕は韓国料理が大好物である。おいしいと言われる店なら路地裏の奥深くへも入っていくし、そして何でも食べる。コチュジャンの味や風味が妙に懐かしいもののように感じられるのだ。

 その上僕は少しばかり韓国語を話す。一週間も滞在していれば頭の中はもう韓国語で動いている。早口で電話もすれば、地下鉄にも乗る。一人で市場の中を歩きまわったり、田舎の方まで足を延ばすこともある。日常の生活の中でもふと韓国語が口をついて出ることさえあるのだ。

 とにかく僕はあまり違和感を感ずることなく韓国という地に溶け込んでいるのである。

 こう考えてくると、やはり自らの遺伝子のルーツを思わざるを得ない。きっとDNAが時空を超えて僕を彼の地へ誘っているのに違いない。「東海」を挟んで存在した長い交流の歴史が僕の体内に流れてきているのだ。

 遠き時代に海を渡った先人の歴史に思いをしながら、僕はこれからも韓の国にこだわっていこうと思う。