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怒りのタンシチュー

森 雅志 1999.06
 男女共同参画社会の到来が叫ばれて久しい。

少子高齢時代に突入しているのだから、男の仕事だとか女の領域だとかと言っている状況でないことは明らかである。性差にかかわらず、みんなで社会を支えていくことが大切なのである。


 もちろん家庭内においても同様であり、妻が外で働き、夫が家事や育児にいそしむということがあっても良いのである。それどころか老後のことを考えればもっと積極的に家事に関わっていくべきだということも言える。やがて一人暮らしということになって、食事の準備やボタン付けぐらいは自分でやらなければならないという事態も容易に想像ができる。


 だからというわけではないけれど、最近僕は少しばかり家事を手伝うようになった。

 とは言え、まだまだ料理を手伝うといったレベルには達しようもなく、食事後の後かたずけに参加が許される程度なのではある。

もっとも、それさえも胸を張って言えるかというとそうでもない。先日も夕方から友人たちと痛飲したあとで食器を抱えたまま階段から転げ落ちたのであった。実は今も痛みが残るほどにあちこち打撲をしていたのだけれども、そんなことはおくびにも出さずに大慌てでそこらに転がっているグラスの破片などを拾い集めていたのであった。こんな体たらくでは男女共同参画の作業というよりも、ただただカミさんの邪魔をしていると言ったほうが適切である。


 エピソードをもう一つ。過日の朝、カミさんからしばらく鍋の火に注意をしていろとご下命が下った。しかし新聞を読みながら生返事をしていた僕は、数分後には鍋のことなどまったく失念していたのだった。その結果生じた事態については思い出したくもないのだけれど、カミさんが三日間も煮込んでいたタンシチューは見るも無残に鍋の底にこびり付いてプツプツと音を立てていたのであった。


 カミさんが腹を立てまいことか。一言も口を聞いてもらえず、ただうなだれて佇むだけの僕に向かってカミさんが追い討ちをかけた。

「三日間、コンピューターに向かって作ってきた資料が一瞬にして消されてしまったと思えば、腹の虫が収まらないのが分かるでしょう。」と。

 返す言葉が見つからなかった....。


「鍋番小僧」から出直そうと猛省したのだが、その後の我が家は急速に「怒りの葡萄」ならね「怒りのタンシチュー」化して行ったのであった。