過去のエッセイ→ Essay Back Number
無感動行進曲
森 雅志 2002.05.02
過日、交通安全市民大会が開催された際に消防音楽隊による演奏があった。演奏にあわせてカラーガード隊による演技も披露され、演技する女性達の表情が爽やかで心が和んだ。
しかし目線を観客席に移した僕はチョッとした違和感を感じていた。
聴衆の皆さんが静かすぎるのである。手拍子を打つでもなく、体でリズムを取るでもなく、演奏にあわせてハミングするでもなく、ただ黙ってステージ上を眺めている人ばかりなのだ。それでいて曲目が変わるたびに拍手が出るのだから皆さんチャンと聞いてはいるのである。聞いてはいるのだが何も感じていないといった風情なのである。
演奏者も寂しいだろうと思って尋ねてみたら、「いつもの事で慣れてます。」とのことであった‥‥。
僕ら富山県民にとってこういった点が問題なのではないだろうか。つまり大人しすぎるという問題である。素直に気持ちを表現するのが下手なのである。もっと楽な気持ちで明るさを出す瞬間も必要だと思う。せめて行進曲を聞くときには体全体で聞かなくては。ステージ上は行進曲、聴衆席は無感動という雰囲気ではいただけない。
もっと開放的になりませんか。思わず踊りだすような瞬間を作りませんか。
そんなことを思ったステージであった。
しかし目線を観客席に移した僕はチョッとした違和感を感じていた。
聴衆の皆さんが静かすぎるのである。手拍子を打つでもなく、体でリズムを取るでもなく、演奏にあわせてハミングするでもなく、ただ黙ってステージ上を眺めている人ばかりなのだ。それでいて曲目が変わるたびに拍手が出るのだから皆さんチャンと聞いてはいるのである。聞いてはいるのだが何も感じていないといった風情なのである。
演奏者も寂しいだろうと思って尋ねてみたら、「いつもの事で慣れてます。」とのことであった‥‥。
僕ら富山県民にとってこういった点が問題なのではないだろうか。つまり大人しすぎるという問題である。素直に気持ちを表現するのが下手なのである。もっと楽な気持ちで明るさを出す瞬間も必要だと思う。せめて行進曲を聞くときには体全体で聞かなくては。ステージ上は行進曲、聴衆席は無感動という雰囲気ではいただけない。
もっと開放的になりませんか。思わず踊りだすような瞬間を作りませんか。
そんなことを思ったステージであった。