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ノーベル賞の記憶

森 雅志 2002.11
 田中耕一さんのノーベル化学賞の受賞は、本当にすばらしい快挙であった。大偉業である。たまたま僕は高校の先輩ということになるが、彼我の違いははなはだしい。僕の場合、物理とか化学といったことに背を向けて高校を終えたのだから思いは複雑だ。
 さて、田中さんの受賞は元気のなかった最近の世の中に大きな活力を与えた。とりわけ子どもたちや若い世代にとって強い刺激になった。田中さんが里帰りされた際、駅頭や全日空ホテルに子どもたちや高校生がたくさん集まっていたことがそのことを物語っている。
 富山の人がノーベル賞をもらったと考えるだけで嬉しくしている子どもたちの気持ちが良く分かる。
 なぜなら僕自身の中でも似たような記憶があるからである。まだ鉄腕アトムの漫画に夢中になっていたころ、僕が生まれる以前に日本人の湯川秀樹という人がノーベル賞を受賞していたということを知ってすごく感動したことをよく覚えている。
 戦後間もない昭和24年のノーベル賞なのだから、当時の日本社会に与えた影響は想像を超えるものがあったに違いないと思うけれど、子どもだった僕は、ただ単純に日本人にも偉い科学者がいるんだと思い、そのことがすごく嬉しかったのである。そしていつの日にか科学が発展して、鉄腕アトムの世界が現実のものとなればよいと夢想していた。
 しかし、ここのところが問題だったのだ。自分が頑張って科学の発展に尽くそうと発想していないことが僕の限界であった。
 それどころか、朝永振一郎博士が日本人2人目の受賞者となるころまで手塚治虫の世界を浮遊して遊び呆けていたのだから、余計に始末が悪い。この辺りが田中耕一さんと僕との決定的な違いなのだ。
 今の子供たちも田中さんのノーベル賞のことをずっと記憶していくと思うけれど、同時に科学への興味を旺盛にしていってくれるように願ってやまない。