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電気仕掛けの食生活

森 雅志 2003.09.05
 アメリカ北東部で発生した史上最大の大停電には大変驚いた。停電の被害を受けたのが五千万人にも達したというからすごい。地下鉄が止まり、空港が閉鎖し、銀行も機能せず、交通信号も作動しないなど都市機能の主要な部分が完全にマヒしてしまったのだ。もちろん多くのコンピューターが使用できなくなったのだから経済活動が停止していたと言っても過言ではあるまい。現代社会のある種の脆弱さを露呈した訳だが恐ろしいことだ。
 停電と言えば、僕が幼かった頃は時々発生した記憶がある。そんな時には父親がロウソクを点けてくれ、家族みんながその周りに集まって復旧を待っていたと思う。みんなでロウソクの灯りに顔を寄せ合っていることが何となく嬉しかったことを覚えている。今回の停電でも歩き疲れた人たちがロウソクや焚き火の周りに集まって談笑している様子が報道されていた。あってはならない停電ではあるが人間味溢れる光景をもたらしてくれることもあるということか。
 ところで今回の大停電が復旧した後で顕在化した問題として食料品の廃棄ということがある。スーパーやレストラン、一般家庭にあった食料品が廃棄され大きな損害が出たらしい。腐敗した食べ物による食中毒患者も発生したようではあるが、市の健康局が「もったいないよりも安全を」と呼びかけたことによって大量の食品が廃棄されたのである。スーパーなどは電力復旧後に店内の食品の総入れ替えをし、消費者も復旧後の日付の食品しか買わないという行動に出たようである。
 考えてみれば現代生活においては魚、肉、牛乳など多くの食品が冷蔵されて販売され、家庭でも冷蔵庫に保存されている。野菜であっても保冷状態で売られている。今や多くの食品にとって電気が不可欠な時代なのだ。乱暴に言えば電気仕掛けの食生活と言える。電気のおかげで新鮮で安全な食品を口にできることは有り難い。しかし反面では今回のように腐敗しているか否かにかかわらず処分してしまうという対応を生んだのだ。こうやって僕たちは手にした食品が安全なのかどうかという判断力、生物として無くしてはならない当然の能力を喪失しようとしているのではなかろうか。
ちなみに我が家の娘たちは賞味期限の表示に神経質であり、期限を過ぎた物は絶対に口にしない。そんな表示よりも自分の舌が大切なのだといくら言っても聞く耳を持たない。困ったことだ。電気仕掛けや賞味期限が安全を保証してくれるのでなく、自分が判断することなのだと教えようとする僕が時代に合わなくなっているのかも知れない。でも何処かがおかしいと思う。