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明日できることは今日するな

森 雅志 2003.10.05
 「明日できることは今日するな」という言葉を聞いたことのある人は少ないと思う。僕は若いときから、その場の雰囲気を軽くしたい時などにこの言葉をよく使う。生来が怠け者なので自分自身の生き方を表現するためにもピッタリの言葉だと思っている。
世間で広く言われているのは「今日できることを明日に延ばすな」という類の言葉である。勤勉で真面目な性質の日本人にはこちらの言葉の方がふさわしいし、立派な箴言である。この箴言を僕が自分勝手に逆転させて都合良く使ってきたということである。
こんな生き方を肯定しているのは僕ぐらいのものだろうと思っていた。ところが過日ある雑誌の中で、かつて遠藤周作がトルコの格言だとして「明日できることは今日するな」という言葉を披露していたという記事を見つけて大いに驚いた。そのうえ記事中でこのことを紹介している論者はこの言葉を高く評価しており、この言葉に出会って良かったとまで述べていた。
考えてみると、チャランポランに見えるこの言葉も意外に奥が深いと思えてきた。問題にぶつかり行き詰まった時には「明日またできる」と考えることで袋小路に落ち込まなくて済むというものだ。
更に言えば「明日できることは今日するな」ということは、明日で良いことは今日しないけれども今日やるべきことはしっかりやるということに他ならない。そのためには何が明日で良くて何が今日やらなければならないかということを正確に判断しなければならない。そして今日やるべきことを毎日確実にこなして行かなくてはならないのだ。例えば一つのプロジェクトを展開するとしたら工程表をしっかり押さえたうえで、時間の経過と進捗度の連動を確実にするということだ。
もちろん今日やることに加えて明日の分までできたに超したことはないように見えるが、それはやがて無理を招き破綻を生むのかも知れず、そもそも最初の工程表が甘かったのかも知れない。肝心なことは目指すべき目標を明確にして、そのための工程表を誤りなく設定し着実に実行することなのだ。
そう考えてくると「明日できることは今日するな」とは決して問題を先送りしようとする姿勢ではなく、やるべきことを時期を失することなく断固としてやるという決意の逆説的な表現なのだと思えてきた。
今、我々は将来の持続的な発展のために困難だが必ず乗り越えなければならない多くの問題に当面している。本格的な少子高齢社会に入り将来を担う若い世代が希望を抱けるようなシステムを創って行かなくてはならない。スリムで効率的な行政を実現しなくてはならないのだ。そのための改革が始まっている。明日でいい改革を今日やる必要はないけれど、直ぐに取り組むべき改革は覚悟を持って今日から着実に始めようではないか。