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素肌美人に会いたい

森 雅志 2004.11
 塩野七生の「ローマ人の物語」によれば、古代ギリシャ人もローマ人もこの世で一番美しいものは人間の裸体であると考えていたとのことである。確かに均整がとれ若鮎のような女性の裸体や鍛え上げられたアスリートの肉体は美しい。その一番美しいものをもっと昇華させようとして多くの芸術作品が生まれ、愛されてきたのである。僕も高塚省吾の描く裸婦画などは本当に素晴らしいと思う。
 だからと言って全ての裸体が美しいものでないことは僕自身の肉体を持ち出さずとも容易にうなずける。あるいは美しい肉体であっても鑑賞に相応しい状況下で見つめてこそ美しいのである。
 そういう状況下でないにもかかわらず、突然に身体の一部をさらけ出されては迷惑千万だ!いい加減にしろ!バーロ。急に語調がアブナクなったがしょうがないのだ。
 節度なく肌を露わにして街に出るのは本人の勝手だけれども、周囲に不快感を巻き起こしていることも知って欲しいと言いたいのである。思い出すと語調が乱れるくらいにおぞましい状況に遭遇してしまった我が身の不幸を知って欲しくて本文を綴っているので変な文脈になるのは仕方がない。

 過日搭乗した旅客機の中での出来事である。僕の隣の座席に50歳くらいの小柄な女性が座った。彼女はずいぶんと丈の短いTシャツの様なものを着ており、着席したときから腰の当たりが露わになっていたのだ。僕は内心、「年甲斐もなく変な人だ。」と思っていた。それだけなら我慢もできたのだが、事件は飛行機が動き出そうとする瞬間に起きたのだ。彼女は突然立ち上がり上の荷物入れから何かを出そうとしたのだった。それも通路に出て取ればいいものを前の座席との狭い空間で伸び上がり両手を上に上げて荷物をまさぐったのである。その結果僕の目の前には、それも至近距離に、彼女の50年の歴史を刻んだ腹部がさらけ出されたのである。もちろん僕は即座に眼を閉じたのだが、瞼にははっきりとその残像が焼き付いてしまったのであった。
 もちろん彼女の腹部に罪はない。人前をはばからず肌を露わにする風潮が悪いのだ。おかしなファッションを許す社会に問題があるのだ。自由を主張しすぎて節度を無くした時代が悪いのだ。
 それとも肌を露わにする流行に不寛容な僕が問題なのか?それならせめて次からは素肌美人に会いたいモノダ。