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昆布と薬のめぐり逢い

森 雅志 2004.12
「北前の記憶」(桂書房刊)を読んだ。この本の存在を知りながら読まずにいたのだが、過日、著者の井本三夫様から恵贈いただいたので急いで読んだ。

 労作である。かつての北前船(バイ船)の乗組員やその後身である北洋漁業に従事した船乗りや出稼ぎ者を追いかけ、古老の語り部たちの富山弁をとおして富山県人の北方での活躍をつぶさに伝えてくれている。素晴らしいフィールドワークに敬意を表したい。

 それにしても明治・大正・昭和前期の県人のバイタリティーとダイナミズムには圧倒させられる。北海道や千島、樺太はもちろん沿海州やカムチャッカまで、先人たちがオホーツクの海を我が物のように駆け抜けた時代があったことを忘れてはならないと思う。
 そして北洋漁業の基礎には江戸期に遡る北前船の歴史があったことも記憶しなければならないのだ。今も岩瀬に残る森家、馬場家や米田家などの廻船問屋の街並みが伝えてくれるように、多くの船主がバイ船を北海道から九州、大阪まで運行させ、北陸のみならず日本全体の物流の主要な部分を担っていた時代があったのだ。同時に、その物流で得た富が売薬業のもたらした富や情報と合体して近代から現代につながる富山の発展の礎となったことも忘れてはならない。

 このことを分り易く学ぶのに最適な短編小説がある。清水義範の「幻の昆布ロード」である(講談社文庫 「どうころんでも社会科」に収録)。この本のタイトルにもある「昆布ロード」とはバイ船が運んだ北海道の昆布が富山に定着し、関西に昆布ダシの食文化として広がり、遠く沖縄まで昆布料理が浸透したことを指している。この「昆布ロード」という言葉をあみ出したのが元北海道大学教授の大石圭一氏であり、同氏の著作である「昆布の道」は昆布の流通が江戸、明治期の日本に与えた影響を詳述している。
 特に薩摩組と昆布貿易の記述が興味深い。19世紀初頭の富山の薬売りは全国を22に分ける独特な組制度を持っていた。このうち薩摩組は昆布を持ち込むことで薩摩と密着していたのだが、特に能登屋などは薩摩の支援を得て北前船を造船し松前から大量の昆布を薩摩に集めた。薩摩はこの昆布を琉球を通じて清国に密売、清国からは牛黄などの薬種を密輸、それを薩摩組が購入し北前船で富山に持ち込み製薬のうえ全国に販売すると同時にまた昆布を仕込むという理想的なビジネスモデルが出来上がっていたのである。
 この結果、薩摩は国力を蓄え明治維新の主役となっていくのであり、その意味では越中の売薬と北前船が歴史を動かしたと言えるわけである。また富山においても近代の扉を開く原動力となったのだ。

 こうやって昆布と薬との間に横たわる歴史を考えると感動と興奮を覚える。まさに北前の記憶がもたらしてくれる感動だ。偉大な先人たちの記憶を次世代に継承していきたいものだ 。