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救命の連鎖

森 雅志 2005.06
 3月のある日のことである。
 某ホテルで催されたある集会で講話をする機会があった。紹介を受けた僕が壇上に上がってまさに話し始めようとしたときに大変な事が起きたのだ。直前に挨拶を終えて自席に座っていた主催者代表の方が急に意識を失って椅子から崩れ落ちたのであった。当然ながら何人かの人が駆け寄り、彼に呼びかけた。僕も直ぐに近寄ったのだが呼びかけに対する応答はなくイビキのような声が聞こえた。誰言うとなく「救急車だ!」と何人もが叫んでいた。
 同時に「ネクタイをはずし、ベルトをゆるめろ!」と叫びながら心肺蘇生法を開姶した人がいたのである。それも二人の人が。彼らは「気道の確保!」、「呼吸の確認!」と声を掛けあいながら口対口の人工呼吸をはじめた。まもなく咳き込むような反応があったものの身体の動きはなく、二人は次に心臓マッサージを開始したのだった。救急隊の到着まで彼らのマッサージは続いた。やがて作業を引き継いだ救急隊によってAEDという機械による除細動 (電気ショックにより心臓の筋肉を刺激)が施されたことで再呼吸を認めることができ、病院へ搬送されたのであった。会場に心肺蘇生法の知識や経験のある人が二人いたということに僕は驚いた。しかしこの二人がいたからこそ迅速適正に対処ができたのである。
 誰かが心停止となった場合、心停止から除細動実施までの時間がその傷病者の生死に関わる重要な因子となるのだ。先ずは迅遠な通報、迅速な心肺蘇生法の実施、迅速な除細動、そして病院による二次救命処置と続く流れが極めて重要なこととなり、これを「救命の連鎖」と言うのだそうだ。
 しかしこの救命の連鎖を作るためには救急の現場に居合わせた一般の市民の中に心肺蘇生法やAEDによる除細動の実施ができる人がいてくれることが必要なのである。除細動を適切に行う市民が増えることは心停止傷病者の救命率を改善することに直結するということなのだ。
 先述の現場では救急車を呼ぶように叫ぶことしかできなかった僕も、正直に言えば心臓マッサージの講習を受けたことがある。しかしそれだけでは何にもならないことを今回のケースで痛感した。救急の現場においては適切な心肺蘇生法を実施できる人がいて、AEDが存在し、それを扱える人が必要なのである。
 従ってこのAEDを積極的に導入することと除細動を含む心肺蘇生法を習得した市民を増やすことが喫緊の課題であると思う。市民病院には厚生労働省認可のインストラクターが52人もいることもあり、今まで以上に市内で心肺蘇生法の講習を行っていかなければならない。多くの市民の受講を期待したいと思う。それが市民が市民を救うことに繋がるのだから。かく言う僕も過日市民病院においてしっかりと受講してきた。お陰で僕の名札には修了者の証であるハートマークが輝いているのだ。