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篁 牛人を知っていますか?
森 雅志 2006.03.05
2月3日から3月12日まで富山県水墨美術館で「富山が生んだ水墨画の鬼才─篁牛人展」が開催されている。そしてまったく同じ日程で富山市篁牛人記念美術館でも館蔵品展「篁牛人の渇筆」が開かれている。近い距離に位置する二つの美術館が連携して同じ作家の展覧会を同時にするという企画なのである。滅多にない企画ではあるが、持っている意義は大きいと思う。
一つには富山市立の美術館と富山県立の美術館の連携に意味がある。それぞれの美術館や博物館の企画力が問われる企画展示において県と市の連携が図られたことは素晴らしいことだし、今後に与える影響が大きいと思う。
きっかけは昨年の3月から運行しているミュージアムバスにある。このバスは市内にある七カ所の美術館や博物館を巡回している無料のバスであり、点在している各施設を繋いでいるのだ。市が運行を委託しているものの市立、県立の区別なく巡っているのだ。(もちろん県にも費用負担をしてもらっている。)したがってこのバスを利用してもらえればいくつかの美術館をゆっくりと鑑賞してもらえる仕掛けになっているのである。このバスの運行を記念して今回の連携展覧会が実現したわけであり、これからもミュージアムバスによる来館者が増えていくことを期待したい。
もう一つの意義は、富山市が生んだ篁牛人という画家を市民に改めてアピールする機会となったことである。篁牛人は明治34年に富山市石坂で生まれ、独自の画境を創出した水墨画家であり、昭和59年に享年82歳でその生を終えている。彼は渇いた筆で墨を描画紙に擦り込むようにして描く渇筆という技法を駆使して古代中国の故事や物語をダイナミックに表現した孤高の画家なのである。日展などの官展系団体に背を向けていたこともあり、また放浪癖があるなどユニークな性行が災いしてか画壇では異色な存在であり、正当な評価を受けているとは言い難い。しかし彼の才能を理解する支援者による支えによって数多くの作品を残しているのである。その支援者であった森田和夫様から多数の作品の寄贈を受けて設置されているのが富山市篁牛人記念美術館なのである。僕はかねがねこの鬼才の作品がもっと評価されるべきだと思ってきた。しかしながら彼の存在自体を知らないという市民も多い。今回の展覧会によって多くの市民に彼の作品に触れていただくことを心から期待したい。
今後は色々な機会を捉えて彼の作品が再評価されるよう取り組んで行くべきだと思う。戦後の一時代に富山の地に孤高の鬼才がいたという評価だけに埋もれさせるのはあまりに惜しい。彼の作品の持つダイナミズムや東洋的精神性は世界にも通用すると信じるからである。
東京はもちろんニューヨークなどへ持っていくことは出来ないだろうか。そんなことを夢見させる連携展覧会である。
一つには富山市立の美術館と富山県立の美術館の連携に意味がある。それぞれの美術館や博物館の企画力が問われる企画展示において県と市の連携が図られたことは素晴らしいことだし、今後に与える影響が大きいと思う。
きっかけは昨年の3月から運行しているミュージアムバスにある。このバスは市内にある七カ所の美術館や博物館を巡回している無料のバスであり、点在している各施設を繋いでいるのだ。市が運行を委託しているものの市立、県立の区別なく巡っているのだ。(もちろん県にも費用負担をしてもらっている。)したがってこのバスを利用してもらえればいくつかの美術館をゆっくりと鑑賞してもらえる仕掛けになっているのである。このバスの運行を記念して今回の連携展覧会が実現したわけであり、これからもミュージアムバスによる来館者が増えていくことを期待したい。
もう一つの意義は、富山市が生んだ篁牛人という画家を市民に改めてアピールする機会となったことである。篁牛人は明治34年に富山市石坂で生まれ、独自の画境を創出した水墨画家であり、昭和59年に享年82歳でその生を終えている。彼は渇いた筆で墨を描画紙に擦り込むようにして描く渇筆という技法を駆使して古代中国の故事や物語をダイナミックに表現した孤高の画家なのである。日展などの官展系団体に背を向けていたこともあり、また放浪癖があるなどユニークな性行が災いしてか画壇では異色な存在であり、正当な評価を受けているとは言い難い。しかし彼の才能を理解する支援者による支えによって数多くの作品を残しているのである。その支援者であった森田和夫様から多数の作品の寄贈を受けて設置されているのが富山市篁牛人記念美術館なのである。僕はかねがねこの鬼才の作品がもっと評価されるべきだと思ってきた。しかしながら彼の存在自体を知らないという市民も多い。今回の展覧会によって多くの市民に彼の作品に触れていただくことを心から期待したい。
今後は色々な機会を捉えて彼の作品が再評価されるよう取り組んで行くべきだと思う。戦後の一時代に富山の地に孤高の鬼才がいたという評価だけに埋もれさせるのはあまりに惜しい。彼の作品の持つダイナミズムや東洋的精神性は世界にも通用すると信じるからである。
東京はもちろんニューヨークなどへ持っていくことは出来ないだろうか。そんなことを夢見させる連携展覧会である。