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野望と夏草

森 雅志 2006.04.05
 最近、若い世代がパソコンやインターネットに過度に依存しているのではないかという懸念を強くしている。
 「書籍は偉大なる小人物を作り、人生の実体験は愚直なる大人物を作る。」という言葉があるそうだ。実体験こそが大切なのであり、書物だけでは頭でっかちになり、本物の知識や感性を磨くことはできないと指摘する言葉である。いわんやコンピューターに過度に依存し、インターネットだけによって情報を得ながらそれで知識が増えたと勘違いしているとしたら危険ではないか。もちろん道具としてのパソコンは充分に利用しながらも、日々の暮らしの中で年輪を重ねるように感性や判断力を養うことが大切なのだと思う。
 例の若い国会議員による偽物メール事件の顛末を見ても人間社会というものを知らない危うさを感じてしまう。何よりもライブドア株の暴落によって損失を被ったとして騒いでいる一部の個人投資家の様子を見ていて特にその感を強くする。彼らの多くは証券会社の窓口にさえ足を運ばず、毎決算期ごとの会計書類に目を通すこともせず、時間をかけて相場観を養いもせずに、ただ自宅のパソコンからデイトレーダーなどと称して一喜一憂していたに違いない。風説の餌食になるのもむべなるかなといったところか。
 ところで小学生にパソコンを使って株式投資をさせるなどは如何なものであろうか。先にも述べたが、先ずは実体験を重ねていくことこそが大切ではないのか。経済を知る前に人間を知る努力をすべきだと思うのだが。
先般、ある全国紙に載った劇作家の山崎正和さんの正鵠を得た評論を読んで感銘を受けたので、一部を引用させてもらいたい。
「投資家もまた起業家であるなら特定の仕事に共感し、意気に感じて冒険をともにする心を持たねばなるまい。その意味でも市場の動きに付和雷同し、目先の利益を追う投機家の性癖は反時代的なのである。(略)投機も資本主義経済に欠くことはできないという。だが、忘れてならないのは文明社会では、必要であることと礼賛することは別だという点である。ことによって必要なことも恥じらいながらするのが文明であって、この恥の感覚のありなしが社会の品格を決めるのである」。子どもに株をさせようと考える全ての親にこの文章をかみしめて欲しい。ファッションや外食を楽しみながらも、『金が全てだ』と言われれば不快を覚える良識が大切だとも山崎先生は書いている。まったく同感である。
騙されたと言って騒いでいる素人投機家は株式投資は自己責任が大原則であることを知るべきであり、マスコミが悪いとか政治が悪いとか言っている限りはますます人格を卑しめていると思う。
山崎正和作品の一つに戯曲「野望と夏草」があるが、欲に駆られて大儲けしようとした野望が破れて上場廃止になった株券という夏草だけが残ったというところか。