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森は海の恋人

森 雅志 2007.01.05
 去る11月29日、飛騨市と富山市との交流会が開催されたが、その際の基調講演が大変に興味深いものであった。気仙沼湾に注ぐ大川上流の室根山で植樹運動を行っている「牡蠣の森を慕う会」の代表である畠山重篤氏が「森は海の恋人」と題して話されたのであった。牡蠣養殖業を営む立場から、豊かな海を取り戻すためには広葉樹の森を育てることが必要だとして取り組んでいる植林活動について披露されたのである。川の上流に落葉広葉樹の森があれば、その腐葉土の養分が川の流れとともに海に運ばれ牡蠣の餌となるプランクトンを育てるのだから、海のためには森と、森から流れる川の存在が不可欠なのだと力説された。そして長靴を履いた漁師の視点から地球環境を語り、森に木を植えることは人の心に木を植えることと同じで、環境問題は結局のところ個人の生き方の問題だと言うのだ。この言葉には多くの指針が含まれておりまことに奥が深いと思う。この運動のキャッチフレーズが「森は海の恋人」という言葉であるが、これは気仙沼在住の歌人・熊谷龍子さんの次の歌からきている。
 森は海を 海は森を恋ながら 
悠久よりの 愛紡ぎゆく
いい歌だと思う。僕らは今こそ悠久よりの自然の営みについて自分の問題として考えてみなければならないと思わせる歌である。
 改めて言うまでもないが、森林の果たす役割は大きい。木材資源のみならず、水資源の涵養や国土保全、空気の浄化機能など森の恵みは果てしない。しかしこの森林の力を維持していくことが年々困難になってきているのだ。手入れを前提に植林された人工林の多くが担い手不足などにより放置されているからである。そのせいで流木の増加や土砂流出を招き、最後は海にまで影響が及んでいるということだ。
 森の恵みを望み続けるとするなら、川の流れとは逆に、下流域による支援を上流へと誘導し川上と川下が一体となって水や森を守ることが大切なのである。畠山さんたちの運動のような森林ボランティア活動は富山でも始まっている。「きんたろう倶楽部」がそれである。すでに700人以上の皆さんが里山の手入れなどの活動を展開している。漁業関係者による取り組みも始まっている。こういう流れが市民全体で森林を守るという大きなうねりとなることを期待したいと思う。また、福岡市では水道料金の1m3あたりに1円を上乗せして基金として積み立てて、この資金で水源地域の森林整備を図ることとしているが、森林の水源涵養機能の大きさを考えると示唆するところは大きいと思う。
 いずれにしても、森林の恵みを享受するからには森林を守る意識を持つことが大切だということである。一人ひとりができることから始めようではないか。
 ところで僕も「森」なのだが、悠久の愛紡ぎゆく恋人はどこに?