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ISOは万能か?

森 雅志 2007.06.05
 地球温暖化やオゾン層の破壊などの環境問題や廃棄物問題に対する手段として、環境マネージメントを活用するISO14001の認証制度がある。富山市も社会的責任を明確にするとともに環境施策を推進するために平成14年4月に認証を取得した。
 その後5年間の運用の結果、職員の意識改革や事務改善、環境基本計画の策定などという形で一定の成果が得られたと思う。
しかしながら運用の結果として課題も浮上してきたのである。つまり、この認証制度は組織体制や文書管理といった手続きに重点が置かれ、環境負荷削減の具体的な成果が要求されていないため、単に認証を継続するための運用になりがちだということである。本来、庁舎から排出されるゴミの減量やCO2の削減を具現化するために、その手段としてISOの基準に合うシステムを運用しているはずなのに、審査機関が要求するものは運用システムの充実だけであり、実質的な成果は審査の対象とならないからである。手段が目的化されてしまうという典型的な事案である。
毎年の審査機関による審査の一環として僕自身も審問を受けてきたが、その際にいつも疑問を感じてきた。紙の排出量がどの程度増減し、電気の使用量がどう変化したかといったことを説明しても審査員はまったく関心を示さず、それよりも市の環境方針の中身を僕がそらんじて言えるかどうかといったことが関心事なのである。僕などはシステムの運用の一部に不十分さがあっても成果が上がっていることの方が重要じゃないかと思うのだが、彼らにしてみれば、取り組む姿勢や体制こそが重要なのであり成果は二の次ということなのか。つまり、ゴミの排出量が増えていても運用されているシステムが基準に合っていればISO資格は維持されるという仕組みなのである。初めてこのことを知ったときはかなり驚いた。ISOではなくてUSO(ウソ)だろ!と思ったくらいだ。
たしかに様式や型、作法や姿勢などを重要視し、その先に美や芸術性を見出そうとする世界がある。茶道や華道などの世界である。その意味では、僕も先ずカタチから入るという世界を否定するものではない。だからと言って環境負荷の削減の世界で様式や姿勢だけに着目していて良いのだろうか。この世界こそ結果を数値的に出していくことが重要なのではないのか。そんな思いに立って富山市はこの4月からISO認証を継続しないこととしたのである。自治体が莫大な労力と時間と費用をかけて国際規格の認証を維持する意義は小さいと判断したのである。
その代わりに、この5年間のISOの運用から得たノウハウを生かし、この4月からは富山市独自の環境マネージメントシステムを運用することとしたのである。これからは成果重視に徹し、環境負荷低減につながる結果を出さなくてはならない。ルックスよりも中身で勝負だぁ!と宣言したのだ。結果が一番。