過去のエッセイ→ Essay Back Number

携帯三態

森 雅志 2007.12.05
 今回は携帯電話にまつわる話。最初は東京のタクシー車内で聞いたチョットいい話。過日乗車したタクシー内で「申し訳ないけど、しばらく携帯で話をしたいので…」と了解を求めたところ、「最近は、移動中に携帯を使いたいからと言ってわざわざタクシーに乗る人が多いです。」と説明された。つまり、電車や地下鉄の車内では携帯で話せないから移動中に連絡や商談をするためタクシーを利用する人が増えているということらしい。
そう言えば、最近の東京では電車やモノレールの車内で携帯を使って会話している人をあまり見かけない。もちろんメールをしている人は山のようにいるけれど…。周りの人にとって大迷惑なあの無遠慮な携帯電話での声高な会話が、都会人の自然発生的な知恵がそうさせたのであろうか、公共交通の車内から消えようとしているわけだ。とても良い現象だと思うし見習いたいことだと思う。公衆の中で携帯を使用する時は周囲に配慮して場所を選ぶことは当然だ。他山の石としたい。
 こういう東京の現象を考えると日本人はいいなあと思う。ところがアメリカやヨーロッパの実態は僕らの常識とはかなり違う。ロンドンでは携帯を手に大声で話しながら通りを闊歩している人を沢山見かけたし、パリの空港ラウンジ内ではほぼ全員の人が携帯を使っていた。それも同時に何ヶ国語も飛び交うので言語の坩堝状態であった。アメリカの国内線では滑走路を移動して離発着中の機内で携帯を使っている人を何人も見かけた。日本でそんなことをしようものなら直ちにキャビンアテンダントに羽交い絞めにされ二度と搭乗できまい。彼我の差は大きい。
しかし僕らは僕らのマナーや常識を大切にして携帯電話を正しく使おうではないか。周囲に気を使ったうえで携帯の利便性を享受することが僕らのマナーなのだ。
 もうひとつ気をつけなきゃならないのが、コンサートホールや劇場で鑑賞中に突発する無遠慮な呼び出し音の問題であろう。興ざめもはなはだしい。過日もオーバードホールで上演された蜷川幸雄氏演出のオセローの舞台の終盤で驚くほど大きい音で呼び出し音が響いて興ざめした。蜷川幸雄大先生がご立腹であったに違いないことは想像に難くない。開演前からくどいくらいに携帯のスイッチを切るようにアナウンスがあったことに対応できない人がいたことが信じられない。それもオセローが嫉妬に狂って身もだえしながら転落するクライマックスの瞬間に呼び出し音が鳴ったのだからたまらない。ステージ上の演技者は確実に影響を受けていたと思う。ルールを守らなかった観客に猛省をうながしたいし、あえて言えば、二度と観劇に来ないでほしいとさえ思う。
 なお、この出来事を受けて、オーバードホールでは携帯の電波が不通になる装置を設置することとした。携帯の功罪は深いなぁ。
東京、欧米、富山の携帯三態の紹介である。