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漂流の民

森 雅志 2008.01
 先に報道された、堺市の病院職員が全盲の入院患者を公園に遺棄したという事件には驚いた。親殺しや子殺し、偽装や虚偽表示などあきれる事件が日常化してしまっている昨今ではあるが、医療従事者として病人を保護する責任のある者が、家族に引取りを拒否されたからとは言え、患者を公園に置き去りにするとは言語道断である。日本人の精神の荒廃がここまできたのかという思いだ。
 一方でモンスターペイシェントと言われる非常識な患者が増えていると言う。医師や看護師などに暴言をはいたり暴力を振るう患者やその家族のことである。また、学校の現場にはモンスターペアレントと言われる怪物が発生しているそうだ。学校や教師に対して理不尽な要求を突きつける親たちのことである。どこにでも抗議のための抗議をする手合いはいるものだが、モンスターペアレントが一人出現するだけでその学校は崩壊するそうだから恐ろしい。我慢を知らない身勝手な人間が増えているということだ。
 日本人はどうなってしまったのだろう。忍びざるの心はどこへ行ってしまったのか。誠実に生きることや勤勉に働く姿はどうしてしまったのか。感謝の気持ちは何処へやってしまったのか。頻発する異常な事件に触れるたびに暗澹たる思いにとらわれる。道徳が欠如しているということだ。精神を貫く心棒をなくしてしまったとも言える。心棒をなくした日本人が漂流しているのが今の時代なのであろう。戦後教育のどこかのひずみによって生きるうえでの羅針盤や海図を喪失させてしまったのだ。
 ある機会に日系人として初めてハワイ州知事になったジョージ・アリヨシ氏と会話することがあった。氏の穏やかだが凛とした姿に感銘を受けた。その後偶然に氏の次の言葉を知った。「義理、恩、おかげさま、国のために、ということに対し日本人がもう一度思いをして欲しい」というものである。氏の祖国への思いが凝縮されている。僕は、この言葉の中に日本社会の漂流を止めるヒントがあるのではないかと思う。そして氏の言葉のエッセンスがあふれた文章に気がついた。それは戦前に国民が復唱していた教育勅語である。
 「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己ヲ持シ博愛衆ニ及ホシ…」教育勅語に盛られた徳目は道徳教育の真髄だ。教育勅語こそが漂流を止める羅針盤足りうると思う。この際、教育勅語の再評価を訴えたい。