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お薦め映画・「山の郵便配達」

森 雅志 2008.12.05
 過日、知り合いから季節の食材が送られてきた。宅配便の伝票を見てみると、届け先である我が家の住所が以前使っていた地番になっていた。電話番号も今は廃止して使っていない番号であった。それでもちゃんと届いたのである。宅急便の配達の人が住所地番の違いに気づいていたとしても、名前から推測して届け先が我が家だと判断してくれたということだろう。ありがたいことだ。
 これが郵便だとなかなかこんなふうにはならない。配達の人によるのかもしれないが、郵便物は宛名の氏名や住所の記載が正確でないといけないという印象が強い。かつて個人事務所を経営していた時代の記憶では、住所の地番の枝番が違うだけで宛て先不明として返送されることがしばしばであった。アパートなども部屋番号の記載がないからという理由で返送されたことも多い。50戸もあるアパートならともかく、4戸しかないようなアパートでも部屋番号の記載が求められるのである。名前で確認すれば配達できそうなものだがなぁ、と思うのは僕だけか。
 おそらく大量の郵便物を仕分けするために、住所を機械が読み取るシステムが導入されているのだろう。その結果アパートやマンションの場合に部屋番号の記載のないものは機械的に差出人に返送されることになっているのだろう。かつて「東京都 長嶋茂雄 様」という宛名で郵便が届いたという話を聞いたことがあるが、現代の機械仕掛けの時代では人間らしい配慮を求めることは通用しない。
 似たようなことは市役所の窓口でも起きているのではなかろうか。高齢者の方が自分自身の戸籍や住民票を申請する際などにおいて、地番の記載が不正確であるために発行されないというようなことを容易に想像しうる。プライバシー保護や他人による不正請求を防ぐということを考えるとあまり柔軟すぎる対応も問題ではあるが、申請者が本人だと確認できる場合には機械的に対処せずに正しい地番を知らせるなどの配慮をすべきだと思う。実際にはどうしているのか確認したいと思う。
 郵便の場合は差出人が局員と対面の上で申請する訳ではないうえに、先にも書いたとおり大量の郵便物を時間を掛けずに仕分けし配達しなければならないのだから、最新の技術を駆使したシステムが構築されていることは当然だ。しかし結果として昔なら届いたであろう郵便が返送されてくることになる。物事を複雑に考えすぎると簡単なことが見えなくなることがあるが、なんとなく似たような皮肉な現象ではないか。
 ところで郵便配達と言えば、「山の郵便配達」というタイトルの感動あふれる中国映画がある。年老いた郵便配達人が手紙をリュックに詰め込んで山岳地帯を何日もかけて配達する姿に妻や息子の思いを絡ませながら家族の絆を描く内容だが、深い感動を観る者の心に呼び起こす秀作である。是非とも鑑賞されることをお薦めしたい。